平野塚穴山古墳の行き方をご案内致します。
今回私は、香芝市尼寺の尼寺廃寺跡から徒歩で向かいました。尼寺廃寺跡から南へ歩いて行くと、途中で東西に流れる川に出くわします。そこを渡ってさらに歩を進めると、尼寺児童公園の脇に「太子道」と刻む石標が建っていました。
香芝市白鳳台1丁目19に建つ太子道の標石。
歩きながら気付かなかったのですが、どうやら古道の太子道を通って来たようです。
香芝市地域交流センターを経由して白鳳台を下る
平野塚穴山古墳の途上には白鳳台という新興住宅地が広がっています。
要点を先に記しておきますが、白鳳台の先の南側に平野の集落があります。台地を下って行く必要があるのです。新興住宅街の中を探し回っても見つかりません。白鳳台を抜けて、下へ降りて行かなければなりません。
平野塚穴山古墳の開口部。
残念ながらこの日は発掘調査中でした。
「埋蔵文化財発掘調査中」とのことで、関係者以外のフェンス内への立ち入りが制限されていました。土嚢のようなものが開口部前に積まれていますね。横口式石槨の中を見学したかったのですが、調査中では致し方ありません。
香芝市デマンド交通の白鳳台1丁目停留所。
太子道の標石から西へ曲がり、車道に沿って白鳳台エリアへと入ります。緩やかな坂道を登って行くと、やがて左手に公共施設のような建物が見えてきます。そこを左折し、さらに進みます。
香芝市地域交流センター。
香芝市が運営するコミュニティ施設のようです。
実は一度道に迷い、こちらの受付で平野塚穴山古墳の場所をお伺いしました。しかし、残念ながら詳細を知ることは出来ませんでした。地元の交流センターですら、その場所は知られていませんでした。古墳なんてそんなものか、と思いながら大体の方向を目指して進みます。
交流センターから西へ登って行くと、右手に墓地があります。そこを越えて次の角を左折します。そのまま真っ直ぐ坂道を上がって行きます。そうすると、道のどん突きに駐車場がありました。
正楽寺の駐車場のようです。
平野塚穴山古墳に隣接する正楽寺です。平安時代後期の線刻阿弥陀石仏が祀られるお寺で、古墳を探す際の目印にもなっています。正楽寺に辿り着けばもう安心です。
正楽寺月極第2駐車場。
正楽寺のある場所はこの裏手下方です。
駐車場から右へ取って進むと、左へ折り返す道がありました。
この折り返す道を下って行きます。
坂道を下って行くと、ありました!
前方に見えるこんもりした墳丘が平野塚穴山古墳です。そして、その左側の建物が正楽寺です。
フェンス越しに見る墳丘。
かなり傾斜のある場所に葬られているようです。開口部が見えますね。その手前には案内板らしきものが立っています。
厳重にガードされていました。
平野塚穴山古墳は7世紀後半の方墳です。
平野の集落には平野塚穴山古墳の他にも、平野1号墳(平野車塚古墳)、平野2号墳、消滅した平野3・4号墳があります。特に平野2号墳からは、全長約11mの巨大な横穴式石室が発見されています。棺を置くための土製棺台(香芝市指定文化財)が出土しており、注目に値します。
アクセス途上で迷い込んだバス停留所。
香芝市コミュニティバスの「白鳳台1号児童公園前」です。
新興住宅街の中には似たような光景が広がり、初めて訪れた者を惑わせます(笑)
まさか、と目を疑いましたが、やはり関係者以外立入禁止です。
う~ん、せっかく遠路はるばる訪れたのに・・・次回はいつになることやら。
常時開口部は施錠されているようですが、柵の隙間から中を覗き込むことができます。
普段は開口部のすぐ手前まで近づくことができます。
この状況では致し方ありませんね。
埋葬施設は二上山の凝灰岩で造られた横口式石槨です。
全長は4.5mにおよび、耳環をはじめ、夾紵棺(きょうちょかん)等の漆塗棺の断片が出土しています。漆塗りの棺は皇族クラスの被葬者によく見られます。平野塚穴山古墳の被葬者は謎に包まれたままですが、斉明天皇の父に当たる茅渟王(ちぬおう)ではないかとも言われます。
平野塚穴山古墳の道案内。
正楽寺の石段下にありました。
平野塚穴山古墳の墳丘。
迷いはしましたが、何とか辿り着くことができました。
尼寺廃寺跡からの所要時間は20分ほどでしょうか。JR畠田駅からだと徒歩30分、JR志都美からは40分弱の道のりです。アクセスの際のポイントは、白鳳台の下手にあるということですね。