百塚古墳!崇神天皇陵陪塚ろ号

天理市柳本町にある崇神天皇陵陪塚(ばいづか)

巨大古墳の近くに、付き従うようにある小さな古墳を陪塚と言います。副葬品だけを葬った墳墓も多いと聞きます。陪塚(ばいちょう)という読み方もありますね。巨墳の周囲に数基設けられ、いろはの順で振り分けられているようです。

百塚古墳

崇神天皇陵陪塚ろ号(百塚古墳)。

景行天皇陵から国道169号線を北へ向かって歩いていると、右手に古墳状の隆起が見られました。さっそく向かってみることにします。民家の裏手に見えたのは、崇神天皇陵の陪塚でした。

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径20mの円墳!龍王山古墳群の可能性も残す

崇神天皇陵の陪塚は計3基で、百塚古墳は陪塚ではないとする説もあるようです。

崇神天皇陵の駐車場に車を停め、拝所へ続く石段を上がります。

拝所前から左右を見下ろすと、2基の古墳が確認できます。北側の大きな方ががアンド山古墳で、南側の小さい方が南アンド山古墳です。この2基はいずれも崇神天皇陵の陪塚で、アンド山が「陪塚い号」で、南アンド山が「陪塚は号」です。

百塚古墳

百塚古墳と崇神天皇陵。

向こうに見える崇神天皇陵ですが、左が前方部で右が後円部ですね。全長242mの巨大前方後円墳です。

崇神天皇陵陪塚ろ号

崇神天皇陵から望む百塚古墳(陪塚ろ号)。

陪塚は全て飛地ですが、この百塚古墳が最も遠い位置にあります。

崇神天皇陵の陪塚

国道沿いの地図を確認すると、南アンド山古墳が「陪塚ろ号」と記されていました。

そして、少し離れた場所にある百塚古墳を「陪塚に号」と案内しています。どちらの見解が新しいのでしょうか。この地図に従えば、もう一つの陪塚とされる大和天神山古墳が「陪塚は号」になるのでしょう。

南別所公民館

南別所公民館。

民家の裏手に回り込むため、国道から東へ入って行くと公民館がありました。

南別所公民館

南別所公民館の木札。

人影は見られず、とても静かな場所です。

南別所公民館の石燈籠

太神宮石燈籠や石仏が並びます。

ここからもう少し西に上ツ道が通っています。お伊勢参りに使われた道ですね。

百塚古墳

ぐるっと回り込むと、再び百塚古墳が見えてきました。

段築の様子もうかがえますね。周囲には立ち入りを禁じる杭が打たれています。

崇神天皇陵陪塚ろ号

西に向かって全景を撮影。

墳丘裾には「陪塚ろ号」の立札がありました。

”ろ号”なのか”に号”なのか定かではありませんが、いずれにしても崇神天皇陵の陪塚として管理されているようです。

崇神天皇陵

崇神天皇陵の雄姿。

百塚古墳は巨大な崇神天皇陵の南にある陪塚です。

アンド山古墳、南アンド山古墳、大和天神山古墳の3基はいずれも前方後円墳です。崇神天皇陵と同じ墳形です。それに対し、百塚古墳は円墳とされます。規模的にも非常に小さく、龍王山古墳群の一つではないかとも言われます。

大和天神山古墳

こちらは大和天神山古墳の社叢。

国道の西側にあり、古墳の東半分が削平されています。

百塚古墳

かなり際まで接近可能です。

柵で仕切られているわけでもなく、かなり自然な状態です。百塚古墳は宮内庁管轄の陵墓ですので、くれぐれも立ち入らないように注意が必要です。

宮内庁管轄

宮内庁のお達し。

かなり字がぼやけていますが、はっきりと”宮内庁”と確認できます。

崇神天皇陵陪塚ろ号

やはり「陪塚ろ号」のようです。

百塚古墳

墳丘裾の畦道を歩きます。

ぐるりと一周回り込むことができました。

百塚古墳

石垣ですね。

古墳の葺石と捉えるのは早計かもしれません。後世に築かれた可能性も大きいでしょう。

百塚古墳

畦道の向こう見える小さな隆起は、南アンド山古墳でしょうか。

陪塚なのか龍王山古墳群の一角なのか判然としない百塚古墳。似たような古墳が崇神天皇陵の後円部南方にもあるようで、「ザクロ塚古墳」という方墳が存在しています。

柳本古墳群の盟主的古墳・崇神天皇陵。その圧倒的存在ゆえ、周囲を取り巻く小墳との関連性も気になるところです。

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