天理市柳本町の建勲神社。
柳本藩主であった織田氏により勧請されたのでしょうか。
天理市柳本町天神山に鎮座する伊射奈岐神社の境内に、織田信長を祭神とする建勲(たけいさお)神社が鎮まります。
長岳寺の飛び地境内に建つ五智堂を見学し、国道沿いに南下すると、右手に御陵餅を売る御陵餅本舗が見えてきます。名物のお餅を食べながら崇神天皇陵で一服した後、さらに南へ進むと伊射奈岐神社の鳥居が視界に入ります。鳥居をくぐって境内に入ると、左手に本殿と拝殿が並び建ち、拝殿向かって左側に建勲神社が静かに鎮座していました。
建勲神社。
織田信長といえば、お墓のある京都の本能寺が有名です。
織田信長を主祭神とする神社も存在していたんですね。豊臣秀吉には豊國神社があり、織田信長には建勲神社があるということなのでしょうか。
大和天神山古墳に祀られる建勲神社
建勲神社は明治天皇の勅により、山形県天童市にて創祀されています。
明治天皇が信長の偉勲を敬い、祀られることになった経緯が伝えられます。主祭神が織田信長で、その子の織田信忠が配祀されているようです。明治天皇からの勲章とでも申しましょうか、建勲神社の名前には信長の偉勲を偲ぶ思いが込められているような気がします。
伊射奈岐神社の境内には、お稲荷さんも祀られていました。
拝殿から右手奥へと続く朱色の鳥居は、伏見稲荷大社の千本鳥居を思わせます。もちろん、数えるほどしか鳥居は奉納されていませんが、お稲荷さんが鎮座していることを示すには十分です。
建勲神社の旧称は、建織田社(たけしおりたのやしろ)と言います。織田の名前が入っていることからも、織田氏のために祀られた神社であることが分かります。建勲神社はここ伊射奈岐神社の他にも、京都の北方の船岡山にも鎮座しています。
お神輿の収納庫の左横に鎮まる建勲神社。
勲章で思い出すのが、冬の山の辺の道に咲いていたガザニアの花。
南アフリカ原産のキク科の花が、山の辺の道の道中に開花していた記憶が蘇ります。
江戸時代に柳本藩主だった織田氏の崇敬を受けていたとされる神社の境内に、ひっそりと鎮まる建勲(たけいさお)神社・・・JR柳本駅にも程近い社は、大和天神山古墳の中に築かれています。
柳本の地名にも、おそらくたおやかな柳の木が関係しているものと思われます。
猿沢池の周囲にも柳の木が植えられていますよね。枯れることも少なく、水質にも根強い柳の木は県内各地で大切に育てられてきました。
柳には人の心に沁み入る話も伝わっています。しなる柳の枝の性質を利用して、中国では円い輪を作って旅人に手渡したと伝えられます。輪は環状の環(かん)に通じ、環は帰還の「還(かん)」に通じます。早くお帰り下さいという意味を表し、別れを惜しむ際に使われたそうです。
伊射奈岐神社の祭神は、伊射奈岐命と菅原道真。
境内にも道真公を象徴する牛の石像があちこちに見られます。
大宰府に左遷された菅原道真が柳本の地に祀られます。
明治維新までは天満宮と呼ばれていた伊射奈岐神社。楊本天神(やなぎもとてんじん)、楊本天満宮(やなぎもとてんまんぐう)と呼び習わされていた歴史の地に立つと、菅原道真と別れを惜しむ柳の木の枝が結び付くのを感じます。
柳本の「柳(りゅう)」は時の流れの「流(りゅう)」にも通じますが、長く気を留めることを意味する「留(りゅう)」にも通じます。柳の木の枝で輪っかを結ぶ行為は、紛れもなく「留」への願いが込められていたのでしょう。
神社参拝の際には、境内に祀られる末社にも注目してみましょう。
建勲神社のような新たな発見があるかもしれません。