吉野神宮の社殿を移したという須賀神社。
田原本町味間の須賀神社には、かつての吉野神宮の空気が流れています。
味間という地名から、能楽の補巌寺を思い出します。須賀神社は補巌寺の東にひっそりと佇むお社で、須佐男命を手厚く祀っています。
須賀神社拝殿と透塀。
菊紋と大瓶束(たいへいづか)をあしらった重厚な「板蟇股」が出迎えます。歴史ある佇まいの拝殿ですが、構造的にも吉野神宮の神門だったのではないかと言われます。
吉野神宮第二殿を遷した本殿!味間村祖伸と八幡神社
拝殿奥には本殿が祀られています。
須賀神社の本殿も、かつての吉野神宮の社殿とされます。本殿の周りには味間村の祖神を祀る味間神社と八幡神社が併祀されていました。
須賀神社の社号標と石鳥居。
社地は外塀で囲われており、俗界とは綺麗に区画されていました。
須賀神社本殿と境内摂社。
立派な本殿です。吉野神宮には後醍醐天皇が祀られていますが、どういう経緯でこの地に下賜されたのでしょうか。気になりますね。
一の鳥居の奥には、二の鳥居も見えています。
創建年代等は定かでないようですが、江戸時代には牛頭天王社と呼ばれていました。京都の八阪神社と同じく、蘇民将来の疫病除け祈願ですね。コロナ禍の今、タイムリーな神社と言えるでしょう。
反りの入った明神鳥居。
その奥に、両翼を伸ばす拝殿が控えます。
屋根の形が独特ですね。向こうが透けて見えることから透塀と言うようですが、外枠の外塀共々、昭和3年に吉野神宮から移されています。
須賀神社の手水石と外塀。
道路の向こうには民家が迫ります。道行く人々からも境内の様子がうかがえます。
菊紋と大瓶束(たいへいづか)の板蟇股。
二段構成の蟇股で、実に立派です。菊紋はおそらく天皇家を象徴する十六菊花紋でしょう。後醍醐天皇を祀る吉野神宮の名残を感じます。
人気の少ない場所に、突如として現れる立派な神門(拝殿)。
透塀の板戸下には、結界を表すバッテン印が連なります。
拝殿・透塀と本殿の写真。
詳細に建築物の解説が見られます。
瑞垣の中に植えられた木。
これは御神木でしょうか。
おそらく近隣住民ぐらいしか通らない場所です。
車で入って行くには少々道幅も狭く、参拝客向けの駐車場も整備されていません。
須賀神社の由緒。
田原本の歴史遺産として紹介されていました。
鎮座地の大字が味間、字はクノイタと言うようです。
勧進年代・由緒は明らかでないが、江戸時代には牛頭天王社と云われたことから、他の牛頭天王系神社のように、素佐男命の神威で疫病から味間の村民を守るために勧進されたものと思われる。
境内摂社には 1・味間神社(元味間見社)祭神 阿志間美命 味間村の祖伸
2・八幡神社 明治19年(1886)字クボンドより、須賀神社境内に遷座。大正4年(1915)境内社として合併。昭和3年(1928)須賀神社改築造営時に分霊し、この分霊を元の字クボンドの社地で祭祀したのが、現在の味間790番地・八幡宮である。須賀神社改築造営
昭和3年(1928)境内地を680坪に拡張し、吉野神宮より本殿、拝殿、透塀、外塀を下賜され、本殿は吉野神宮の第2殿、拝殿は構造上、神門の可能性がある。昭和12年改築造営工事は竣工した。
正、背面中央上部は、「菊紋」「大瓶束」をあしらった重厚な「板蟇股」が付く。
一昔前までは枝葉を伸ばしていたであろう御神木。
大和伝統野菜の「味間芋」で知られる田原本町の味間・・・昔日の村の雰囲気を残す一角に、味わい深い神社を見つけました。