多神社の南に小杜(こもり)神社というお社があります。
朱色の祠があるだけですが、周囲は鎮守の森にふさわしい雰囲気でした。多神社は何度か訪れていたのですが、小杜神社にお参りするのは今回が初めてでした。
小杜神社本殿。
鳥居の奥にブロック塀で囲われた本殿が建っています。
多神社の若宮四社!太安萬侶命を祀る小杜神社
大字多に鎮座する小杜神社。
鎮座地の字を木ノ下(このした)と言い、昔は「木ノ下神社」「樹森(こもり)神社」とも呼んでいました。近くに鎮座する屋就神明(やつぎしんめい)神社などと共に、多神社の若宮四社の一社とされます。
太安万侶の記念碑。
「古事記献上千三百年記念」と記されていました。
日本史の教科書で習った太安万侶は古事記の編者ですね。小杜神社の御祭神であり、多氏の一族でもあります。
本殿を守るブロック塀の周りには、草木が繁茂していました。
神が降臨する”杜”を思わせる社叢です。
本殿以外目立ったものは何もありませんが、その割には広い神域です。初夏ということも手伝い、ブロック塀の外周には分け入ることが出来ませんでした。
麦畑の向こうに多神社の社叢を望みます。
この日私は、笠縫の秦楽寺方面から多神社を目指しました。
多神社には駐車場もありますので、本来は車でアクセスするのがおすすめです。たまたま散歩のついでに立ち寄ったのですが、徒歩で向かうのも有りだなと思った次第です。
小杜神社・多神社の駐車場。
ここは兼用駐車場のようです。ちなみに多神社の入口左手にも、多神社の駐車場があります。
小杜神社の社号標。
右手奥に本殿が見えていますね。
ぐるりと右手へ回り込む格好で本殿の前に出ます。鬱蒼とした杜の中に小杜神社は鎮座します。
「杜」という字は中国伝来の漢字ではありません。日本で作られた和製漢字であり、日本の魂が籠っているような印象を受けます。木偏に土と書き、その土地の土壌に根差したものを感じますね。
小杜神社の一の鳥居。
社号標から真っ直ぐ南へ進むと、やがて右手に一の鳥居が現れます。笠木に反りの入った明神鳥居です。
この記事の最後に写真を掲載しておきますが、この鳥居から真東に”三輪山”を遠望することができます。多神社は北緯34度32分のレイライン上にあると言います。俗に「太陽の道」と称される古代信仰の延長線上です。参拝の帰りに、一の鳥居にすっぽりと収まる三輪山を見た時、ゾクッとくるものを感じました。
一の鳥居を抜け、さらに右手へ折れると二の鳥居と本殿が待っています。
二基の石燈籠を配し、鳥居には注連縄と紙垂が下がります。
小杜神社の本殿。
こちらにも二基の燈籠が建っていました。多神社の参道で目にした燈籠と同じ型のようです。
杜(もり)の語源には、「茂り」と「盛り」があると言います。
樹木が勢いよく繁茂する様子がうかがえます。さらにモリには「守り」の意味も付け加えられます。大切なものを守る”杜(もり)”という場所に、今私は身を置いています。
ブロック塀の外に、一基の灯籠が建っていました。
木が覆い被さり、時の流れを感じさせます。かなり昔からある燈籠でしょうか。
本殿の真横。
階の断面が黄色く塗られていますね。実に鮮やかな色彩です。
裏手に回り込みます。
社殿は石の上に乗っかっているだけのようです。
小杜神社の近くには、太安万侶の小さな円墳があるようです。
太安万侶の墓誌が発見されて騒ぎになったのは奈良市田原町です。古事記を編纂した重要人物ともなれば、あちこちに墓があってもおかしくはないのかもしれません。
一の鳥居から望む三輪山。
帰り際にもう少し引いた所から見れば、鳥居を額縁にしたように三輪山が見えます。この位置関係が興味深いですね。