下之庄耳不動尊!耳の病に御利益

1820年に建立された不動石仏。

田原本町の三笠交差点から南へ数百メートルの所に、耳の病にご利益があるという耳不動尊が祀られています。近親者に原因不明の耳の病気に侵されている者がいて、常に気掛かりでした。

下之庄耳不動尊

下之庄の耳不動尊。

激しい忿怒の表情の不動明王かと思いきや、比較的お優しそうな雰囲気です。炎に包まれた光背を負い、右脇には多数の錐が束ねられていました。

耳不動尊の存在を知ったのは、神奈備工房の藤白小鈴さんのフェイスブックページでした。古代史や神社について詳しく案内されていて、いつも楽しく拝見させてもらっています。

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降魔の剣と羂索!迦楼羅炎に包まれた不動明王

古来、耳の病に苦しむ人は多いと聞きます。

近しい人が難病に侵されて初めて知りました。内耳部分の難聴はなかなか治らず、あらゆる病院で診てもらっても原因がはっきりしません。ボイラー音のような雑音が四六時中耳の奥で鳴り、自分の声も人の声も無駄に響いて聞こえてくるそうです。

耳の病気に大光寺のお守り@京都市伏見区
耳の病にご利益があるという京都の大光寺(だいこうじ)。 耳の仏様と言えば、京都大原の来迎院や奈良法隆寺の西円堂などが知られます。大光寺は観光寺院ではありませんが、耳の病気に救いの手を差し伸べて下さる「手接の薬師(てつぎのやくし)」がい...

3年前、京都伏見の大光寺にもお参りして来ました。

その後も檀家寺院の大本山へも出向いたりしましたが、一向に良くなる気配はありません。病を受け入れ、病と共に生きていくのがいいとは分かっていても、事あるごとに何かあればすがりたくなるのが人間の性です。

不動堂

東を向いて建つ不動堂。

三笠交差点から歩いて3分ぐらいです。鳥米川(梅川)の堤の曲がり角に、お目当ての耳不動尊は祀られていました。

烏米川とナガミヒナゲシ

川沿いに咲くナガミヒナゲシ。

初夏の風にゆらゆらと揺れています。

下之庄耳不動尊

右のお堂が不動堂で、左の方にはお地蔵さんらしき石仏が祀られていました。

このまま真っ直ぐ南へ行くと、笠縫方面へと通じています。

下之庄不動尊の由来

下之庄不動尊の由来。

不動尊は江戸時代の石工であった田原本の佐兵衛氏によって作られ、文政三庚辰年十二月(1820年)に建立されました。

伝承によれば、文政5年(1822)と安政5年(1858)の疫病(コレラ)蔓延の時、下之庄村からひとりの発病者もなかったようです。後に、その徳を称えて、下之庄の村人が不動講を以てお祭りをするようになり現在も続いています。

長い年月を経て、今では耳病の不動尊で霊験あらたかです。お供えしてある錐をいただいて帰り、耳の穴のところで錐を揉むようにすると、よく聞こえるようになると言われています。

さすがに扉を開けるのは気が引けたので、お不動様の前で手を合わせておきました。

”耳の穴のところで錐を揉む” その言葉通りに頭の中でイメージします。耳の病が治りますように・・・江戸時代以来多くの人々の願いを受け入れてきた不動尊です。

下之庄耳不動尊

右手に降魔の剣、左手には羂索を握ります。

手にするものは不動明王の基本形です。ちょろっと出た足に、この石仏の愛嬌を感じます。どこか漫画の世界から飛び出してきたような愛苦しさがあります。

三笠南三笠公民館

三笠南三笠公民館の案内板。

近くには公民館もありました。

下之庄耳不動尊と錐

堂内片隅に置かれた錐。

かなりの数の錐が束ねられていますね。今よりも医学が進歩していなかった時代、耳の病に苦しむ人々は藁にもすがる気持ちで願いを託したのでしょう。”耳詰まり感”を貫通させてくれる錐、そんなイメージがあったのではないでしょうか。

下之庄耳不動尊

先の曲がった錐もありますね。

あたかも患部に届いたかのような曲がり方です。

光背に刻まれた炎は、迦楼羅鳥を象るようです。燃え盛る迦楼羅炎に包まれて、邪悪なものを追い払います。

地蔵石仏

もう一つのお堂に祀られる石仏。

紅白の前掛けをした石仏は、お地蔵様でしょうか。

下之庄耳不動尊

耳不動尊の脇の剣。

二本の剣が立っています。「予備の剣」と捉えることもできますね。右手に持つ降魔の剣のみならず、足元の剣も目を光らせます。

江戸時代には、伝染病のコレラから村民を守った不動尊です。新型コロナウィルスに揺れる今、疫病退散の願掛けにも応えてくれそうです。

下之庄耳不動尊

田原本町には耳の病にまつわる仏像がもう一体あるようです。

宮古薬師堂の薬師如来(重要文化財)です。「耳薬師」と呼ばれ、地元の方々の厚い信仰に支えられています。村人たちの薬師講も営まれています。

下之庄と新木の住所表示

電柱の住所表示。

下之庄と新木(にき)の札が掛かります。

下之庄の南西方向に、新木という大字があります。秦楽寺の西に当り、春日神社や一行寺があります。

奈良県立教育研究所

ツツジの向こうに奈良県立教育研究所が見えます。

耳不動尊にお参りした後、久しぶりに多神社まで徒歩で向かいました。

多神社には「耳」と名の付く神様が二柱祀られています。

神武天皇、神八井耳命(かむやいみみのみこと)、神淳名川耳命(かんぬなかわみみのみこと;綏靖天皇)、姫御神(ひめかみ)を御祭神とし、主神の神八井耳命は多氏の祖とされます。耳不動尊と多神社の神々に直接の関係は無いでしょうが、ちょっと気になりますね。

下之庄の耳不動尊への行き方ですが、田原本町の三笠交差点を起点にすると分かりやすいでしょう。三笠の地名ですが、奈良の三笠山(御笠山)がよく見えたからだとする説もあるようです。