竪穴式石室を持つという佐味田石塚古墳群。
3基から成る古墳群で、1号墳と2号墳の石室が馬見丘陵公園内に移築復元されていました。
佐味田石塚1号墳の石室。
この写真からは分かりませんが、石室底部には飛鳥時代の平瓦片が敷き詰められていたようです。7世紀に築かれた古墳で、馬見丘陵での古墳築造終焉期に当たります。
睡蓮の池の手前に移築復元!佐味田石塚古墳の小石室
古墳の集まる馬見丘陵の中でもマイナーな存在です。
移築復元された場所も分かりづらく、目にした人も少ないでしょう。中央エリアの公園館から南へ、ナガレ山古墳の手前に位置しています。ちょうど紫陽花や睡蓮の咲く辺りです。“睡蓮の池の右手前”と覚えておきましょう。
古墳状の高まり。
通りからこの盛土を見つけ、おや?ひょとすると古墳かなと思い近づきます。
裏手に回り込むと、確かに石室でした。
手前に案内板があり、この盛土が佐味田石塚古墳群の2号墳であることを確認します。
馬見丘陵公園のヒマワリ。
夏の太陽が眩しい季節に訪れました。
佐味田石塚古墳群の案内プレート。
小石室の前に建っていました。この案内板が無ければ、それと気づかずに通り過ぎるでしょう。
佐味田石塚古墳群の案内板。
河合町大字佐味田
佐味田石塚古墳群は、道路工事に伴って新しくその存在が確認された3基からなる古墳群です。
墳丘は、外見からは全く認められませんでした。3基のうち2基は竪穴式の小石室でした。特に1号墳の石室底部には瓦片が敷き詰められていました。その瓦は全て飛鳥時代の平瓦片でした。
石室の形態としては6世紀代に通有のものでしたが、瓦片から7世紀になって築かれたことは確実です。
馬見丘陵での古墳築造の終焉を知る上で注目されます。正面が1号墳、左手が2号墳の石室を移築復元したものです。
佐味田石塚古墳群の1号墳石室。
埋葬施設は竪穴式石室だったようです。河合町佐味田(さみた)には、家屋文鏡が出土した佐味田宝塚古墳があります。比較的知られた古墳で、埋葬施設には粘土槨が納められていたようです。
2号墳の石室。
小さな石が組み上げられています。
すぐ近くには睡蓮の池が広がり、それなりに人通りはあります。
ひっそりとこんな場所に移築されていたんですね、馬見丘陵公園の死角と言ってもいいでしょう。
睡蓮の池。
馬見丘陵公園の古墳マップにも掲載されていない古墳です。散策を兼ねて隈なく歩いていると、新たな発見があるものですね。改めて思いましたが、馬見丘陵公園は広いです。