五條市の櫻井寺!天誅組の本陣跡

国道24号と168号が交わる場所に、天誅組の本陣跡があります。

浄土宗寺院の櫻井寺には、今も幕末の足跡が色濃く残っています。櫻井寺から南へ数分歩けば吉野川です。その手前には、江戸時代の風情に満ちた新町通りがあります。櫻井寺周辺は、歴史散策にはおすすめのエリアでした。

五條市須恵の櫻井寺

五條市須恵の櫻井寺。

住所は須恵で、櫻井寺の東には統(すえ)神社が鎮座しています。

国道を挟んで櫻井寺の駐車場があります。公共交通機関を利用するなら、最寄駅はJR五条駅です。駅からも徒歩圏内ですので、てくてく歩いて行くのもいいでしょう。

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五條代官首洗いの手水鉢!生々しい歴史を伝える境内

櫻井寺の創建は幕末よりも古く、平安時代の天暦(てんりゃく)年間(947~952)とされます。創建者は櫻井康成で、須恵の城主だったようです。

櫻井寺本堂

櫻井寺本堂。

現在の伽藍は昭和42年に建て替えられています。木造建築が多いお寺にあって、櫻井寺の本堂・山門・鐘楼は鉄筋コンクリート造です。設計者は昭和の建築家・村野藤吾のようです。近鉄橿原神宮前の駅舎を設計した人物としても知られます。

天誅組首洗いの石手水鉢

山門を入った右手に手水鉢がありました。

天誅組が襲撃した五條代官所・・・その代官・鈴木源内の首を洗ったとされる首洗鉢です。血の海と化した石鉢が脳裏をかすめます。生々しい歴史の跡ですね。

櫻井寺とツツジ

ツツジでしょうか。

山門前に咲いていました。

櫻井寺

櫻井寺のGOJO MAP。

天誅組が本陣として五條新政府を号した櫻井寺には、さらし首となった代官鈴木源内の首を洗ったとされる首洗鉢も残されています。

天誅組は尊王攘夷派の武装集団です。

自らを「皇軍御先鋒」「五条御政府」と称し、倒幕に動いた浪士たち。五條代官所を焼き払った際、鈴木源内の首をここに持ち帰ったのでしょう。

櫻井寺の寺紋

櫻井寺の寺紋。

これは桜でしょうか?寺紋の奥には鐘楼が覗いています。

櫻井寺の庭

立派なお庭ですね。

大和国で決起した天誅組の変

幕府五條代官所を襲撃するも、直後に起こった京都の政変により、一転“逆賊”とされます。最後は幕府軍の追討を受け、壊滅に至りました。そのドラマチックな筋書きが多くの歴史ファンを惹き付けてやみません。

櫻井寺鐘楼

近代的な鐘楼。

八の字に広げた屋根が印象的です。

櫻井寺

見落としてしまいましたが、櫻井寺には三勝・半七比翼塚もあるようです。

浄瑠璃や歌舞伎の演目にある『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』。

元禄8年(1695)に半七(はんしち)と三勝(さんかつ)が心中した事件を題材とした作品です。登場人物の赤根屋半七ですが、五條新町に邸宅跡があります。「まちなみ伝承館」の手前に、半七宅跡を示す石標がありました。

櫻井寺のツツジ

艶やかな初夏の花。

毎年お盆の時期に開催される吉野川花火大会・・・天誅組が櫻井寺に本陣を置いた日にも近く、儚く散った浪士たちと花火が重なります。

余談になりますが、吉野川沿いには葦が多く茂っていたようです。葦の管に火薬を練って小さな玉を作ったのが花火の始まりだと言います。鍵屋の初代弥兵衛は、奈良の篠原(しのはら)村から江戸に出ています。今の五條市大塔町篠原ですね。

櫻井寺本堂

本堂前の賽銭箱。

「潤生山」と書かれていますね。おそらく櫻井寺の山号でしょう。

櫻井寺

五條市街地には天誅組を偲ぶ場所が多く残ります。

軍医として天誅組に参加した乾十郎ゆかりの地も興味深いところです。

櫻井寺の蓮鉢

この大きな蓮の鉢は、京都知恩院でも見たような気がします。

知恩院は浄土宗総本山ですが、ここ櫻井寺も浄土宗のお寺ですよね。

五條市の櫻井寺

今は静かな境内。

幕末の争乱期に、時代の転換点にもなった場所とは思えません。

首洗いの手水鉢

首を洗った水盤です。

さすがに生首を目にしたことはありませんが、どろどろした血が頭をよぎります。

首洗いの手水鉢

鉢に付いた黒い筋は、もしや血の跡でしょうか。

天誅組本陣跡の石碑

天誅組本陣跡の石碑。

山門右手前に建っていました。

天誅組本陣跡の石碑

国道の交わる交差点の名前も「本陣」です。

京奈和自動車道の五條インターチェンジを下り、五條市街地へ向かう際に通過する本陣交差点。西は橋本、和歌山方面、北は河内長野、堺へと通じる交通の要衝でもあります。

天誅組本陣跡

天誅組本陣跡のGOJO MAP。

桜井寺は天暦年間(947~957)桜井康成の創建と伝える古刹。五條代官所を襲った天誅組は、続いてここを本陣として五條仮政府と号しました。

天誅組本陣跡の案内

天誅組本陣跡の案内プレート。

櫻井寺は、幕末期には五條で有数の規模を誇った寺だった。天誅組は代官所を焼き払った8月17日から、「8月18日の政変」を受け急いで天辻へ本陣を移す20日(いずれも旧暦)までの間、この寺に「御政府」の看板を掲げ本陣とした。寺には、代官の首を洗ったとされる水盤が残されている。

櫻井寺本堂

本堂の屋根も、鐘楼と同じようなカーブを描きます。

建物の設計者が同じだからでしょうか、橿原神宮の駅舎ともどこかでダブりますね。

櫻井寺駐車場

道路を挟んだ向かいに、櫻井寺の駐車場がありました。

特に観光寺院というわけでもありませんので、駐車中の車は見当たりませんでした。激動の幕末を感じたい方にはおすすめの場所です。

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