金剛寺のお守り!茅葺屋根の庫裏

吉野川南岸の金剛寺を訪れました。

お寺の住所は五條市野原西で、辯天宗総本山の如意寺とも近い位置にあります。高野山真言宗のお寺で、門前には弘法大師像が建っています。名物の牡丹シーズンは過ぎていましたが、庫裏や本堂、観音堂の中をゆっくり見学致しました。

金剛寺のお守り・干支守

金剛寺の干支守。

金剛寺の御本尊は薬師如来坐像で、日光・月光菩薩像が脇侍です。干支に振り分ける十二神将も安置されていました。金剛寺の干支守は、小さな巾着袋スタイルですね。

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藤棚から覗く鴟尾を乗せる観音堂

お寺には珍しい茅葺屋根。

神社ではよく見る光景ですが、なぜかお寺では滅多にお目にかかることがありません。山門を入った庫裏の屋根に注目です。ご住職によると、葦(あし)で葺いた屋根なんだそうです。吉野川沿いには葦が生えていると言います。まちなみ伝承館の受付の方からも伺いましたが、吉野川の葦を使って花火が生まれたという逸話も残ります。

金剛寺茅葺屋根の庫裏・金剛寺山門

金剛寺山門と茅葺屋根の庫裏。

屋根のてっぺんは瓦が葺かれているようです。

金剛寺の庫裏

金剛寺の庫裏内。

拝観料は300円でした。

拝観スタイルはこれまた珍しく、いきなり建物の中に入るという段取りです。いつものように境内を歩きながら拝観するものと思っていましたが、まずは靴を脱いで庫裏の中にお邪魔します。向こうの間にお座りになられているのが、金剛寺のご住職です。

金剛寺のダルマ

これはダルマですね。

牡丹をはじめ、白藤、アヤメ、テッセン、シラン、金雀枝(えにしだ)などの花が咲くお寺です。ちょうど今は端境期で、植栽剪定作業の真っ最中でした。

金剛寺藤棚から覗く観音堂

藤棚から覗く観音堂。

屋根には鴟尾(しび)が乗っかっていますね。

金剛寺は唐招提寺長老のご隠居場所だったようです。ひょっとすると『天平の甍』で知られる唐招提寺金堂の鴟尾にあやかっているのでしょうか。唐招提寺とは違い、鴟尾同士の距離が近いのが気になりますが(笑)どこか戦国武将の兜を思わせます。

金剛寺の茅葺屋根

茅葺屋根も味わいがあります。

金剛寺の参詣では、建物の屋根も見所の一つですね。

金剛寺の手ぬぐい

茅葺屋根と牡丹を描いた手ぬぐい。

金剛寺の由緒は平安時代末期に遡ります。今からおよそ800年前、平安朝の文化人であった平重盛により創建されています。

金剛寺観音堂の鴟尾

観音堂に置かれた鴟尾。

唐招提寺の文字が見えます。左横には境内の立体模型がありました。

茅葺の庫裏も再現されていますね。右から庫裏、本堂、向きを変えて観音堂と連なります。

本堂と観音堂の間には護摩堂、位牌堂があり、本堂裏には客殿が連なります。庫裏の前には枯山水の庭もありました。5月にはツツジが咲いていたようで、パンフレットによれば「元禄4年の庭」とのことです。ちなみにお目当ての牡丹園ですが、庫裏や本堂の裏手です。

建物内は一つに繋がっており、外に出ることなく拝観を終えました。

金剛寺山門

金剛寺山門。

寺号標に「唐招提寺長老の隠居寺」と刻みます。

金剛寺の案内板

金剛寺(野原町2412)

高野山真言宗。本尊薬師如来 小松山福寿院と号す。当寺の紺紙金銀字交書仏母大孔雀明王経 紺紙金銀字交書大隋求陀羅尼経 獅子座火焔宝珠形舎利容器は奈良県指定文化財。髪繍阿弥陀如来聖衆来迎図 春日曼荼羅図はいずれも市指定文化財である。 五條市教育委員会

金剛寺の山号は小松山(こまつさん)、院号を福寿院(ふくじゅいん)と言うようです。

金剛寺の牡丹写真

牡丹のお写真。

金剛寺は関西花の寺二十三番霊場に名を連ねています。花の季節に訪れれば、さらに満足度も上がることでしょう。

吾唯足るを知る

おっ、これは「吾唯足るを知る」ですね。

京都龍安寺のつくばいで観た有難いお言葉です。人間あれもこれもと欲張ってはいけません(;^_^A

金剛寺の庫裏内

何やら興味深いものもありました。

金剛寺の藤棚

拝観受付前の藤棚。

おそらくGW頃に白藤が開花するのでしょう。

長い歴史の中で様々な変遷を遂げてきた金剛寺。

奈良朝末期には、井上内親王とその息子・他戸親王の怨霊を祀る宮寺として法灯を掲げた時期もあったようです。そう言えば、金剛寺とご近所の野原御霊神社にも井上内親王が祀られています。祟り神として怖れられた井上内親王ですが、五條市内に散在する御霊神社巡りも面白そうです。

御霊(ごりょう)から五條(ごじょう)に転訛したと言うほど、五條には縁のある井上内親王。金剛寺との関わりも知れて、有意義な一日でした。

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