田原本町多の念仏寺

融通念仏宗の念仏寺。

多神社の東方に、田原本御佛三十三ヵ所巡礼の第24番札所があります。いわゆる「太陽の道」沿いに位置していました。西のライン上に姫皇子命神社と多神社、遥か東方には三輪山を望みます。

田原本町の念仏寺

田原本町大字多に佇む念仏寺。

多の集落内にあり、門前の道幅は狭く徒歩で向かわれることをおすすめします。私の実家も融通念仏宗で、大阪平野の大念仏寺にも出向いたことがあります。散歩の途中でしたが、融通念仏宗のお寺には興味を抱きました。

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平安時代の十一面観音!多神社の神宮寺より伝来か

多の念仏寺には数体の仏像が祀られているようです。

最も古いものとして、平安時代の十一面観音菩薩立像も安置されています。ご本尊は阿弥陀如来立像ですが、阿弥陀様は江戸時代中期作のようです。

念仏寺西の祠

念仏寺西方の祠。

真新しい祠の下には、グラウンドカバーのように白い花が埋め尽くしていました。祠の背後、すぐ西には姫皇子命神社が鎮座しています。

元伊勢伝承地の姫皇子命神社
古事記編纂で知られる太安万侶ゆかりの多神社。その東側に多神社の境外摂社・姫皇子命(ひめみこのみこと)神社が鎮座しています。磯城郡田原本町秦庄にある奈良県立教育研究所に所要で出掛けた際、多神社に立ち寄ってみることにしました。数年ぶりの多神社参...

姫皇子命(ひめみこのみこと)神社は元伊勢の伝承地であり、その歴史の深さがうかがえますね。

念仏寺の十一面観音菩薩立像

左手に水瓶を持っているのが、念仏寺の十一面観音菩薩です。

円光背を負う玉眼・寄木造の仏像ですね。写真左上の伏し目の御仏がご本尊・阿弥陀如来でしょう。

念仏寺の石仏

念仏寺の石仏群。

山門入ってすぐ左手に祀られていました。墓石のようなものも立っています。近隣から寄せ集められたものでしょうか。

念仏寺案内板

念仏寺の由緒。

念仏寺は延宝2年(1674)中興とあり、開基は明らかでないが、平安時代中期の十一面観音菩薩立像始め、室町時代の地蔵菩薩立像、如来立像等諸仏像が収められていることから、明治の廃仏毀釈・神仏分離令で、廃寺になった多座彌志理都比古神社の真言宗・神宮寺より伝来し、継承された諸仏の可能性がある。

そして、この念仏寺に関わる資料として、天正2年(1574)には「字里の内」に大念佛道場があった事が記され、この寺もこれ以前から融通念仏宗であったと思われる。

念仏寺の山号は光明山。

かつての多神社神宮寺は真言宗であったことが記されています。廃仏毀釈の中、仏像が移されることはよくあります。神宮寺で大切にされていた諸仏が、こっそりと運ばれたのでしょうか。思えば聖林寺の十一面観音も、大神神社の神宮寺であった現若宮社から移されています。

時代の波に揉まれながら、信仰の対象であり続ける御仏に手を合わせたくなります。

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