田原本町矢部の安楽寺を訪れました。
安楽寺は融通念仏宗のお寺で、宗祖・良忍上人の行状や念仏功徳の霊験譚を描いた縁起絵で知られます。今回私は、矢部観音堂を目指して矢部の集落へ入りました。
矢部の安楽寺。
矢部観音堂のある杵都岐神社から、さらに西に位置しています。曲がり角に沿って緩やかにカーブする土塀が印象的ですね。
良忍上人坐像と重要文化財の縁起絵
安楽寺のある矢部集落は飛鳥川の西方に当たります。
京奈和自動車道(橿原バイパス)がすぐ西を通り、周辺には長閑な田園地帯が広がります。
私の実家も融通念仏宗のため、大本山である大阪平野の大念仏寺にも足を運んだことがあります。その際、良忍上人の功績にも触れさせて頂きました。
あれから数年、奈良県内にも数多くの融通念仏宗寺院があることに気付きます。
普段から問題意識を持っていると、見えてくる世界も違ってきます。
聖應大師・良忍上人像。
宗祖である良忍上人の坐像が掲示されていました。
安楽寺山門。
南向きの門で、右手には鐘楼が建ちます。入口は閉ざされており、自由に拝観は出来ないようです。
矢部集落の入口付近。
強力殺虫剤キンチョールの古看板ですね。
一つ向こうには、「金鳥の夏、日本の夏」でおなじみの蚊取線香の看板もありました。秦楽寺方面から西へ西へと歩いて来ましたが、集落へ入ると一気に空気が変わります。
重要文化財の絹本著色融通念仏縁起絵が解説されています。
安楽寺所蔵の縁起絵は宗祖である良忍上人(1073~1132)の行状と、その及ぼした念佛功徳の霊験譚をあわせ絵画化したものです。
安楽寺の縁起絵のように鎌倉期までさかのぼるものは稀です。融通念仏縁起絵で国内に存在するのはいずれも南北朝末期から室町期にかけてのもので、本図は、縦153cm横80cmの大きさで、巧みな縁起絵の構成を示しており、他に例を見ない掛幅本として貴重な美術品です。(1987年指定)
絹本とは絹地に書画をしたためたものですね。
紙の上に描くのが「紙本」ですから、絹本の方が価値があります。絹本著色の「著色」は彩色されたものを意味します。単に「着色」と表記することもあるようですが、概ね国の指定文化財には「著色」が使われるようです。
安楽寺の寺号標。
「田原本御佛三十三ヵ所巡礼第二十六番矢部安楽寺」と刻みます。
田原本の仏像を巡る札所のようなものですね。第26番に指定され、ご本尊の阿弥陀如来を仰ぎます。
矢部の安楽寺の由緒。
安楽寺の創建はよく分かっていないようです。不明な点も多く残りますが、延宝年間には融通念仏宗に改められたものと思われます。
光照山安楽寺
本尊 阿弥陀如来坐像
安楽寺の歴史室町時代 宗祖良忍上人座像造像
14世紀中頃 国・重文絹本著色融通念仏縁起図描かれる
江戸時代初期 本尊 阿弥陀如来坐像造仏
延宝初年(1673) 浄土宗・覚誉長老が融通念仏宗に帰依
安永8年(1779) 本堂再建
安永9年(1780) 本堂の軒瓦に「安永九天庚子三月 新口 瓦工 伝兵衛」
正面に見えるのが本堂でしょう。
参道左手には墓石が並びます。
安楽寺見学の後、杵都岐神社へ舞い戻り、そこから南方の矢部の綱掛を見て帰路に就きました。