リニューアルされた唐古・鍵遺跡のミュージアムを見学。
重要文化財の牛形埴輪をはじめ、ヒスイ勾玉の入った褐鉄鉱(かってっこう)容器、イノシシの下顎など見所も満載です!8月の一箇月間は、期間限定・入館料無料です。夏休みもあと残すところわずか、お子様連れでおでかけしてみましょう。
褐鉄鉱の容器。
ミュージアムの出口付近に置いてありました。
ガイドの方に促され、実際に持ち上げて振ってみます。すると、中に入っている粘土石がコロコロと鳴り出しました(^^♪
古代中国の仙薬?弥生人の神仙思想を伝える褐鉄鉱
私は今回、褐鉄鉱(かってっこう)という名の鉱石を初めて知りました。
「天然の錆(さび)」とも言われる自然鉱物で、その塊の中には空洞があり粘土を内蔵しています。鉱物の中の結晶という意味では、インクルージョンの部類に入るものと思われます。
リニューアルされた館内。
入口近くの第1室には、最盛期の唐古・鍵ムラ模型が展示されています。幾重にも重なる環濠に囲まれた集落を俯瞰します。現在は唐古鍵遺跡史跡公園として整備されている場所ですね。
第2室のガラスケースに展示中の褐鉄鉱容器。
褐鉄鉱には臭いを軽減する効果があり、家畜にも使用されているようです。
神秘的な褐鉄鉱ですが、良質な粘土の周辺に鉄分が凝縮して生成されます。
内部に空洞があり、その生成過程はこうです。中の粘土が乾燥することによって収縮を引き起こすようです。それが内壁に当たって音を立てるという仕組みです。「鳴石」「壺石」と呼ばれる由縁ですね。
ヒスイ製勾玉 褐鉄鉱容器、土器蓋。
先日、TV番組で天然記念物の高師小僧(たかしこぞう)が取り上げられていましたが、高師小僧の正体も褐鉄鉱のようです。田圃の中から空洞のある不思議な石が見つかり、番組ではツチノコの卵ではないかと騒がれていました。
専門家の見立てでは、植物の根に吸着した褐鉄鉱の塊であるとのことでした。土中で生成される褐鉄鉱の集合体、それこそが高師小僧というわけですね。
ぽっかりと口を開けています。
本来はこの中に、鳴石の元となる粘土が入っていたはずです。
この褐鉄鉱は、2000年に行われた唐古・鍵遺跡第80次調査において発見されました。遺物洗浄で内部の泥を除去すると、2個の翡翠(ひすい)勾玉と土器の欠片が見つかったそうです。
手前が土器片で、褐鉄鉱容器に蓋をしていたようです。
ヒスイ勾玉を中に入れ、そこに蓋をていたのです。
まさしく「古代の宝石箱」ですね。
褐鉄鉱は limonite (リモナイト)とも呼ばれ、その中の粘土は、古代中国において不老長寿の仙薬として珍重されていました。太一禹余糧(たいつうよろ)という名の秘薬で、日本においても東大寺正倉院の『種々薬帳』(756年)にその記録があります。
現在でも下痢止めの漢方薬として販売されているようです。その形状からか、中国山東省では「木魚石」とも呼ばれています。
生命力再生の絵画土器&邪を祓うイノシシ下顎
館内にはボランティアガイドの方が常駐なさっていて、色々お話をお伺いしました。
猪は古代にも食されていましたが、その下顎の骨はV字形をしています。弥生人たちはその形に、鈎(かぎ)の呪力を見たようです。そのためムラの入口付近にイノシシの下顎を掲げ、邪を祓ったと言います。
史跡公園の前で、只今営業中の道の駅。
駐車場の入口に、復元楼閣の蕨手を思わせるデザインが施されていました。
唐古・鍵考古学ミュージアムの入口。
田原本青垣生涯学習センターの2階にあります。
夏休み期間中ということもあり、階下の図書館には多くの若者が集っていました。
今は無料ですが、普段の入場料は大人200円とのことです。毎週月曜日が休館日になりますので、お出かけの際はチェックしておきましょう。
第2室の「弥生の絵画と記号」。
唐古・鍵考古学ミュージアムの中で最も充実したコーナーが第2室だと思われます。
祭を描いた絵画土器。
真ん中の両手を広げた人物は、鳥装の女性を描いています。
下半身の色目が変わっていますが、復元箇所ではなく ”本物” であることを表しています。ガイドの方に教わったのですが、はっきりと女性の陰部が描かれています。生命誕生の場所に畏敬の念を抱いていたのかもしれませんね。
絵画土器の解説。
弥生土器には二人の人物が描かれている。一人は生命力を再生させるためのポーズで両手を挙げる鳥装の女性、もう一人は豊作を願う儀礼のポーズで盾と戈を持つ男性である。
リニューアル前は第1室のケース内に展示されていた男女の人形。
唐古鍵遺跡の象徴とも言える二体ですが、今は第2室の入口付近に展示されています。
こちらはスッポンの絵画土器。
この他にも ”鹿” は身近な動物だったようで、様々な題材に使われていました。
弥生時代の流水紋。
昔も水は貴重な資源だったはずです。流れるような曲線美に弥生人のセンスを感じます。
楼閣土器。
あまりにも有名な、唐古鍵遺跡のシンボルですね。先のくるっと丸まった ”蕨手の意匠” が目を引きます。
こちらは鞘付の刃物ですね。
実に精巧な作りです。弥生時代には既に、「収納」という概念が存在していたことを思います。
鶏頭形土製品。
なかなかリアルな鶏頭です。
天岩戸神話の時代から、鶏は神性を帯びた動物として描かれます。展示中の土製品はどのような目的で作られたのでしょうか。
イノシシの下顎。
第1室の「まつりといのり」コーナーに展示されていました。
奥の二つが猪の下顎で、手前の二つは猪と鹿の肩甲骨です。肩甲骨は占いに使われていた卜骨(ぼっこつ)でしょう。
肩甲骨と下顎の解説文。
弥生時代には、骨を焼いて入るヒビ割れのしかたで占う方法が用いられた。平たく薄い面があるイノシシの肩甲骨に藻草(もぐさ)など塊を載せ、火をつけて焼いた。唐古・鍵遺跡では、置くのに邪魔になる肩甲骨の中央にある突起を刀子(とうす)などで削り落とし、焼灼(しょうしゃく)した。井戸などから供献(きょうけん)土器とともに出土するものもある。
唐古・鍵遺跡では、イノシシの下顎14個体分が棒に架けられていたものや7個体分が集められ環濠に投棄されたものが見つかっている。弥生時代には、イノシシの下顎の「V」字形に、「鈎(かぎ)」の呪力があり、邪をはらうと考えられていた。この2例は、邪霊が侵入しないようにムラの南東と北西の出入口付近に並べられていたかもしれない。
焼灼の方法が写真で案内されています。
なるほど、鉢状のものに浮かして焼いたようです。おそらく肩甲骨はヒビが入りやすかったのでしょう。焼いて吉凶を占うという点では、神話の世界に度々登場する誓約(うけい)にもどこか通じるものがあります。あらかじめこうなったら吉、ああなったら凶と ”決め事” をしていたのでしょう。
イノシシの下顎はV字形なんですね。
古代瓦に見られる鋸歯紋なども、ノコギリ状のV字形です。先の尖った三角形は、等しく邪悪なものを切り裂いてくれる象徴だったのかもしれません。
立体模型の横に、倭人の足跡が展示されていました。
大人と小人のようです。
足元にディスプレイされていれば、自分の足と比べることも出来たのになぁと良からぬことを考えます (笑)
重要文化財の牛形埴輪。
第3室の一番奥に展示されていました。
羽子田1号墳出土、古墳時代の牛形埴輪。
1897年(明治30)、田原本町字東羽子田で病舎の建設に伴って、牛形埴輪や盾持人埴輪が出土した。このうち牛形埴輪は、全国的にも類例がなく、国の重要文化財に指定された。
これらの埴輪の詳細な出土地点は不明であったが、1998年の発掘調査で前方後円墳の周濠から出土したことが明らかになった。
第3室の「埴輪の世界」コーナーでは、笹鉾山2号墳出土の馬曳き人物埴輪や馬形埴輪なども展示されていました。
保存状態は良好です。
この他にも、第3室では桜井市の纒向遺跡にも触れています。
弥生時代の「ヤマト」は唐古・鍵遺跡だけでなく、周辺集落との連動があったことが確認できます。「古代最初の都市国家」と称される纒向遺跡へ収斂されていく過程を見学します。
体験コーナーの褐鉄鉱。
実際に触ることが出来ます。
褐鉄鉱の中の粘土ですね。
音源である鳴石の粘土には触れることが出来ないようです。
振ってみます。
うん、確かに空洞の内壁に何かが当たっている音がします。
唐古・鍵ムラ模型。
一目で「環濠集落」であることが分かります。
こうやって見ると、”お城の守り” にも似ていますね。
今秋の11月には、田原本青垣生涯学習センター内の「弥生の里ホール」で平原綾香のライブが催されます。サックス奏者である実父との共演のようです。いいですね~、田原本は盛り上がっています(^^♪
2018年6月に展示替えをした唐古・鍵考古学ミュージアム。これからも益々、田原本観光から目が離せません。