豊浦寺跡近くにある難波池。
この場所はやはり、隠れたパワースポットでしょう。
難波池(2010年撮影)。
仏教排斥派の物部尾輿が仏像を投げ込んだと伝えられる池です。
仏像を洗い清めた『すすぎの瀧』!善光寺の御本尊
その仏像はなんと、百済の聖明王から欽明天皇に贈られた日本で最初の仏像だったのです。
仏像拝観は近年ブームになりつつありますが、その発端は興福寺の阿修羅像だったことを思い出します。
アシュラーと呼ばれる阿修羅ファンが、こぞって興福寺を訪れて話題になりました。今も全国各地に数えきれないほどの仏像が祀られています。その仏像の先陣を切る一体が、あろうことか池に投げ捨てられていたのです。
難波池の由来。
日本最古の仏像といえば、豊浦寺跡からもほど近い飛鳥寺の飛鳥大仏を思い浮かべる人も多いと思います。実は飛鳥大仏よりも古い仏像が難波池に放り込まれていたのです。
奈良交通かめバスの豊浦バス停。
仏像を池に捨て去るなんて、なんともセンセーショナルな事件ですよね。
飛鳥寺は日本最古の本格的仏教寺院ですが、飛鳥寺よりも先に豊浦寺というお寺があったことを忘れてはなりません。
かつての豊浦寺跡は、今では向原寺という名前になっています。
聖徳太子の霊場の一つにも数えられます。
聖徳太子といえば推古天皇を連想しますが、それもそのはず、この辺りは推古天皇の豊浦宮跡があった場所でもあるのです。
向原寺本堂の木鼻。
歴史を遡れば、この周辺には蘇我氏の大邸宅がありました。
推古天皇は蘇我氏の出身だと聞いたことがありますが、腑に落ちる史実ではないかと思われます。
向原寺(豊浦寺跡)の本堂。
仏教伝来は欽明天皇の時代です。
日本古来の神を信奉する天皇は、百済の聖明王から頂いた金銅の仏像を蘇我稲目に手渡します。仏教擁護派の蘇我氏と排斥派の物部氏の争いは歴史的にも有名ですが、難波池のお話にも如実に表れています。
向原寺の裏手に鎮座する甘樫坐神社。
右手に巨大な石造物が見えますね・・・立石です。
すすぎの瀧。
難波池から甘樫丘豊浦休憩所の方へ歩いて行くと、程なく左手にすすぎの瀧がありました。
散歩中の土地の住人に教えて頂いたのですが、難波池に投げ込まれた金銅仏はこの瀧で洗い清められたということです。
すすぎの瀧を案内する石碑。
右手の階段を降りていくと、先ほどの瀧の祠に辿り着きます。
向原寺の「向」でしょうか。
難波池に放り込まれ、すすぎの瀧で清められた金銅仏。その歴史的金銅仏は現在、長野の善光寺の御本尊となっておられます。難波池を通りかかった本田善光さんがお持ち帰りになられたとのことです。
豊浦近辺の住民の方々は、今でも講を組んで善光寺参りを続けておられるそうです。
日本仏教の始まりの地。
それがここ、難波池周辺のエリアだと言っても過言ではないでしょう。