明日香村にある川原寺の工房跡。
古代の鋳鉄(ちゅうてつ)遺構が発見され、大きな話題を集めました。
橘寺の向かいに位置する川原寺跡ですが、現在は弘福寺(ぐふくじ)という寺になっています。天智天皇が母・斉明天皇の冥福を祈って創建したのが川原寺と伝わります。
川原寺の工房跡。
川原寺の寺域北方に、ひっそりと遺構が残されていました。
この辺りは非常に人通りの少ない場所です。今回私は、飛鳥川沿いの弥勒石から川原寺跡を目指しました。
まずは弥勒石から川を挟んだ反対側の岸へ出ます。そこから川沿いに進み、やがて二手に分かれる道を丘陵沿いに進みます。しばらくすると、右手に工房跡が見えてきました。
川原寺を支えた工房!土坑の中に鉄釜の鋳型
川原寺の鋳造遺構は、最古の鉄釜生産工房とされます。
当時の川原寺の勢いを感じさせる大規模な遺構です。
史跡川原寺跡。
綺麗なツツジの花が咲いていました。工房跡はこの北方にあります。
原っぱに短い柱が何本も立っています。
発見当時の土坑は埋め戻されているようで、今は更地の状態です。
かつての川原寺は大官大寺などと並び、「四大寺」の一つとして重んぜられていたようです。
「鉄釜の鋳造遺構」解説文。
平成15年、この場所から古代の鉄釜を鋳造した遺構が発見されました。奈良時代に書かれた法隆寺や大安寺の資財帳には、湯屋の湯釜や調理用の鉄釜が記載されています。ここで川原寺の鉄釜が作られたのでしょう。鋳造遺構は直径2.8m、深さ0.5mの大きな土坑の中心に、鉄釜の鋳型が据えられた状態で残っていました。
この鋳造遺構の年代は、7世紀の末から8世紀の初め頃と推定されます。発見時には最古の大型鋳鉄遺構として注目を集めました。
遺構の近くからは、土製の溶解炉片がまとまって発見されているようです。高低差を利用して、溶かした鉄を流し込んでいたのでしょう。
飛鳥寺と花の風景。
飛鳥寺の西方には、季節の花が咲いていました。花びらの切れ込み具合から察するに、”ナデシコ”でしょうか。
たんぽぽと蓮華畑。
民家に重なるように見えているのは雷丘です。
7世紀から8世紀にかけて、川原寺の工房は活気に満ちていたことでしょう。
奈良県立万葉文化館へ足を運べば、富本銭鋳造の飛鳥池工房遺跡を見学することができます。
額に汗してモノづくりに励んでいた痕跡は、当時の社会を支えていた基盤です。より深く歴史を知るきっかけにもなるでしょう。