文武天皇陵!飛鳥岡に火葬

飛鳥の文武天皇陵をご案内致します。

第42代天皇の文武天皇。

温厚な人柄で、弓術に優れた天皇であったと伝えられます。

文武天皇陵

文武天皇は若くしてこの世を去っています。

享年24歳、天皇在位は10年間でした。さすがに昔の天皇は即位が早いんですね。

文武天皇陵!中尾山古墳を彩る紅葉
八角墳であることが判明し、文武天皇陵の可能性が高まった中尾山古墳。 八角形の墳墓は天皇陵に特有のもので、いよいよその全容が解明されつつあります。残念ながら現地説明会には間に合いませんでしたが、その数日後に訪れてみました。 発掘調査中の中尾山...

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中尾山古墳が御陵なのか!?天武、持統に次ぐ文武天皇

文武天皇は荼毘に付されています。

今目の前にしている文武天皇陵は実は他の人のお墓で、真の御陵は中尾山古墳であるとする人も多くいます。

文武天皇陵案内板

文武天皇陵のガイド。

高松塚古墳の南に位置する文武天皇陵。

高松塚古墳の敷地内を出たすぐの所にあります。

文武天皇陵

文武天皇陵の入口。

天皇の系図を見てみると、飛鳥浄御原宮で即位した天武天皇が第40代天皇、その皇后であった持統天皇が第41代天皇となっています。

文武天皇は天武と持統の孫に当たります。

天武天皇と持統天皇の間には草壁皇子という子供がいましたが、彼は残念ながら夭逝しています。

そしてその草壁皇子の子供が文武天皇なのです。

草壁皇子を葬る束明神古墳@高取町佐田
草壁皇子の墓と伝わる束明神古墳。 佐田の集落上手の春日神社境内にあります。墳丘の形式は八角形墳であり、天皇ゆかりの被葬者であることに間違いはなさそうです。築造時期は7世紀後半頃で、終末期古墳に当たります。 春日神社の石鳥居。 佐田の集落から...

文武天皇陵

文武天皇陵の御陵名は、檜隈安古岡上陵(ひのくまの あこのおかのえの みささぎ)といいます。

文武天皇陵の西を檜隈川(ひのくまがわ)が流れています。そういえば、天武・持統天皇陵は檜隈大内陵(ひのくまの おおうちの みささぎ)とも称されます。近鉄岡寺駅から東へ橘寺にアクセスしますが、橘寺へ向かう道の南方一帯の丘陵起伏地を檜隈(ひのくま)と呼んでいます。

今の地名でいえば、明日香村大字檜前(ひのくま)に相当します。

文武天皇陵

どこの天皇陵も同じですが、宮内庁の但し書きがありました。天皇陵の前に立つと、緊張で背筋がピンと張ってしまうのは私だけでしょうか。

文武天皇陵の火葬

文武天皇は24歳で亡くなられ、飛鳥岡に火葬されています。

飛鳥岡?

文武天皇が火葬された場所は何処だったのでしょうか。

一説によれば、高松塚古墳の北にある中尾山古墳こそが文武天皇陵ではないかとも言われています。いずれにせよ、歴代の天皇で火葬にされたのは持統天皇が初めてです。文武天皇は2番目に火葬にされたことになりますね。

文武天皇の祖母に当たる持統天皇は、亡くなる前に「自分が死んだら火葬にして、夫である天武天皇と一緒に埋葬してほしい」と合葬を望んでいます。

八角墳の天武持統天皇陵@明日香村野口
八角形墳の野口王墓古墳。 鬼の俎・雪隠古墳から少し下った所に、夫婦で合葬されている天武・持統天皇陵があります。見学に訪れたのは12月初旬でしたが、陵の周囲にはたくさんの柿や蜜柑の木が植えられていました。 明日香村の農家の方々と寄り添うように...

文武天皇陵の結界

文武天皇陵とすぐ南に広がる田圃との結界。

文武天皇在任中の出来事として特筆すべきは、701年の大宝律令の制定でしょうね。

藤原不比等や刑部親王に命じて大宝律令の整備に動き出します。”藤原不比等の娘と文武天皇は婚姻関係にある” という事実も興味を引きます。藤原氏の血が天皇家に混ざるのは、この時が初めてとなります。

藤原姓は今の日本においても、数多い苗字の一つです。

タレントの藤原紀香さんもそうですが、兵庫県には特に多い姓とされます。

歴史的に藤原姓の発祥由来を遡ってみると、天智天皇が中臣鎌足に「藤原」姓を下賜したのが最初とされます。

天智天皇の弟は天武天皇です。

さらに中臣鎌足の生誕地は飛鳥の地にあります。

日本の古代史は、本当に色々なところで密接につながっていますね。

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