橿原市東池尻町にある御厨子(みずし)神社。
みずし観音(妙法寺)の横に広がる鬱蒼とした杜、そこが御厨子神社の境内です。御厨子神社の鎮座地は第22代清寧天皇の磐余甕栗宮(いわれみかくりのみや)とされます。
御厨子神社の月輪石(つきのわいし)。
真っ二つに割れた磐座で、生気を授ける神・石析神(いわさくのかみ)と崇めます。
柳生町にある天乃石立神社の一刀岩を思わせますね。
カグツチの血から生まれた御祭神
御厨子神社のミステリーストーンは、国道165号線の膳夫交差点から南へ700mほどの場所に鎮まります。ここがかつてのお宮跡・・・そう思うと、それなりの空気を感じさせる不思議な空気に満ちていました。
御厨子神社の本殿。
根析神(ねさくのかみ)を祀ります。
根析神とは火の神・カグツチの血から生まれた神様です。
古事記によれば、火の神・加具土命(かぐつちのみこと)を生んで大火傷を負ったイザナミは死に至ります。妻を亡くしたイザナギは、嘆き悲しみました。その涙からは泣沢女神(なきさわめのかみ)が生まれます。天香久山麓の畝尾都多本神社に祀られる神様ですね。
悲しみに暮れる余り、イザナギは十拳の剣でカグツチの首を斬りました!
我が子に手をかけてしまったイザナギですが、カグツチの血が飛び散って様々な神様が生まれることになります。その中に根析神(ねさくのかみ)や石析神(いわさくのかみ)が含まれていたと云います。
みずし観音・御厨子神社の駐車場。
駐車料金は無料です。
駐車中の車の向こうに竹林が見えていますが、あの奥に月輪石が横たわっています。
御厨子神社の鳥居。
一段上の境内を背に撮影。
島木と笠木が重なり、一番上の笠木の端が斜めに反った八幡鳥居ですね。
石鳥居をくぐって斎庭に出ます。
正面の建物は社務所でしょうか。
磐余甕栗宮の他にも、「磐余(いわれ)」を冠するお宮跡は数多く存在します。
古代ヤマト王権の根拠地として栄えた磐余宮。履中天皇の磐余稚桜宮、清寧(せいねい)天皇の磐余甕栗宮、継体天皇の磐余玉穂宮、神功皇后の磐余若桜宮、用明天皇の磐余池辺雙槻宮などの諸宮が語られます。
珍しい形の奉納石。
まるで絵馬のような五角形ですね。
御厨子神社拝殿。
社務所から右手に向き直ると、石灯籠を両脇に配する拝殿が控えていました。
拝殿の中にはブルーシートが敷かれていました。
何やら工事中のようです。
御厨子神社
南山町(橿原市)・橋本(桜井市)・東池尻町(橿原市)郷社
この地は清寧天皇「磐余甕栗宮」の跡で、社名の古くは、磐余池の尻辺に位置するので「水尻神社」といい、祭神は根析神・安産霊神二柱であったが、應仁(室町時代)より御厨子観音(御厨子山妙法寺)が移建され鎮守八幡宮が合祀されてから「御厨子神社」と改称された。
御祭神
根析神(根を裂く威力のある神で、生気を授ける神)
安産霊神(安産の神)
誉田別命(八幡大神)境内の石神 石析神(根析神と同じく生気を授ける神)
磐余池の端に位置していたことから、「水尻(みずしり)神社」と呼ばれていたようですね。
「みずしり、みずしり」と言っている内に、いつの間にか転訛して「みずし」になっていったものと思われます。八幡神は後の合祀で、元々この地に祀られていたのは根析神(ねさくのかみ)と安産霊神(やすむすびのかみ)です。
御厨子神社本殿。
本殿前の玉垣が倒れていました。
どうやら改修工事のようです。
本殿前の狛犬。
安産の神も祀られる御厨子神社ですが、安産霊(やすむすび)という言葉の響きがいいですね。
カグツチの飛び散る血から生まれた根析神(ねさくのかみ)。
そもそもカグツチの「カグ」には輝くという意味が込められています。香具山の「カグ」も同じです。さらには、かぐや姫の「カグ」も同じ出処です。
イザナギの剣の先に付いた血は、辺りの岩に飛び散り、すさまじい雷神になったと伝わります。
剣の柄に滴り落ちた血も辺りに飛び散り、燃え盛る火の神になりました。さらに、ほとばしり出る渓谷の水の神も生まれ、カグツチの亡骸からも種々の神様が生み出されたと云います。
月輪石(石析神)。
注連縄がまるで蛇のように体をくねらせます。
背後の竹林も絵になりますね。
かぐや姫も竹から生まれています。ここから程近い香具山の山中には、月の誕生石というミステリーストーンがありますが、どこか類似点も感じられます。
見事に割れています。
所々に見られる黒い斑点模様は、飛鳥石の特徴でしょうか。
右手に回り込みます。
月輪石の周りはぐるっと一周することができます。
横から見ると、割とスマートです。
まるで尾根のようですね。
夏場だったため、蜘蛛の巣に引っ掛かってしまいました(笑)
足元もそうですが、目線の高さにも注意が必要です。
根析神と同じく、生気を授ける神とされます。
石の所在を匂わせる「磐余(いわれ)」という古代地名。
磐余甕栗宮伝承地にスピリチュアルな石が残されているのも頷けますね。
見れば見るほど、生命体のような存在感。
意志を持ってそこに居続けているような気がします。
御神酒が供えられていたのでしょう。
風雨にさらされたのか、月輪石の傍らに倒れていました。
清寧天皇は雄略天皇の第三皇子に当たります。
御名を白髪皇子(しらかのみこ)と称し、生来白髪であったと伝わります。
そのため、霊異を感じた父の雄略天皇は白髪皇子を皇太子にしたそうです。やはり「白い」ということは、それだけで神性を帯びるのでしょうか。春日大社に伝わる鹿島立ちの鹿も白鹿で、大神神社に棲むという蛇神も白蛇です。
その後、即位した清寧天皇ですが、清寧天皇には子供が無かったと言います。清寧天皇の次に当たる第23代は顕宋天皇ですが、その顕宋天皇を祀る弘計皇子神社は明日香村八釣にあります。
御厨子神社からもそう離れていません。ご興味をお持ちの方はついでに足を運んでみて下さい。
朽ちかけた注連縄に付いているのは紙垂でしょうか。
蛇の異名を「くちなわ」と言います。
まさしく「朽ち縄(くちなわ)」に由来していることが分かりますね。
何度も脱皮を繰り返す蛇は ”不死のシンボル” でもありました。
磐余の地に今も残る自然崇拝。
是非この場所で手を合わせて頂きたいと思います。
拝殿前の齋庭からパワーストーンを望みます。
脇にはベンチも置かれていますね。
手水石も味があります。
原始的な雰囲気を纏う素敵な神社です。
御厨子神社の社号標。
駐車場のすぐ脇に細い参道が伸びていました。
案内板の「磐余甕栗宮」。
すぐ近くには大津皇子の辞世句を刻む万葉歌碑があります。
写真家・入江泰吉氏の揮毫で、物悲しさと決意のにじんだ言葉が胸に響きます。
かつての皇宮「磐余甕栗宮」のあった場所に鎮まるパワーストーンです。
旅行ガイドブックにもあまり掲載されていない穴場スポット。国道からも程近く、比較的アクセスも便利です。大和長寿道の外れに位置し、安倍文殊院やおふさ観音のお参りついでに訪れてみるのもいいでしょう。