三宅町の白山神社。
屏風杵築神社の前に白山神社が鎮座しています。
その境内の右奥に「黒駒に乗る太子像」が建っていました。
黒駒に乗る太子像。
愛馬黒駒に跨る聖徳太子と、従者の調子麿が遥か前方を望みます。
調子麿の左手には弓が握られているのでしょうか。黒駒と言えば、飛鳥の橘寺を思い出します。聖徳太子生誕の地と伝わる橘寺の本堂前にも黒駒像が建っています。橘寺の場合は黒駒一体のみの像で、聖徳太子や従者の姿は見られません。
駒つなぎの柳と腰掛石!聖徳太子を偲ぶ境内
太子ゆかりの絵馬が奉納される屏風杵築神社。
太子道を挟んで、その真ん前に鎮まる白山神社。
白山神社の境内には、綺麗な紫陽花の花が咲いていました。
黒駒に乗る太子像の背後は式下中学校の敷地になっていて、元気な子供の声がこだましています。
白山神社の腰掛石。
聖徳太子が太子道の往来の際、腰を下ろして休憩をしたと伝えられる腰掛石もあります。
安堵町の飽波神社境内にも聖徳太子の腰掛石がありましたが、平べったいフォルムがよく似ていますね。確かにちょっと休憩をするには好都合の形状です。
愛馬の黒駒をつないだ駒つなぎの柳。
太子道の向こうに見えているのが屏風杵築神社です。
聖徳太子が休憩する際、この場所に黒駒が繋がれていたのでしょう。
像の周りをぐるっと一周してみます。
聖徳太子を偲んで、昭和5年(1930)にこの地に建立された黒駒に乗る太子像。
しかしながら、第二次世界大戦中に金属類の献納のため取り外された歴史があります。めでたく、平成24年11月22日に70年ぶりに復元されました。
太子道を往く聖徳太子が案内されています。
斑鳩の宮から飛鳥小墾田宮までの道のりを通った聖徳太子。
弓で地面を穿ち、湧き出る水を飲んだと伝えられる「矢じりの井戸」が屏風杵築神社の境内にあります。
白山神社の西側は古墳の密集地帯になっており、北から寺の前古墳、茄子塚古墳、高山古墳、アンノ山古墳、瓢箪山古墳、天王塚古墳と続いています。
三宅古墳群の周辺を散策しながら太子道を歩く。日本文化のゆりかごと呼ばれる大和国中(やまとくんなか)は、今日も歴史ファンを魅了してやみません。