飛鳥マラ石と坂田寺跡

奈良県高市郡明日香村には、謎の石造物があちこちに見られます。

不思議なミステリーストーンを訪ね歩くのも、明日香村観光の見所の一つです。そこで今回は、国営飛鳥歴史公園の祝戸地区内にある男根型のマラ石をご案内致します。

マラ石見学の際には、近くにある坂田寺跡にも足を運んでみましょう。かつては飛鳥五大寺に名を連ねた尼寺で、鞍作氏の氏寺とされる名刹です。距離的にみても、マラ石と坂田寺跡はセット見学がおすすめです。

飛鳥のマラ石

祝戸地区入口近くに佇むマラ石。

1月末に見学に訪れましたが、マラ石の向こうには蝋梅が開花していました。

性器を模った陰陽石なら、飛鳥坐神社へ行けばいくらでも見ることができます。境内に複数ある陰陽石に比べると、やはり祝戸地区のマラ石の存在は際立っています。何せ単独で存在しているのです。

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フグリ山に対する子孫繁栄の遺物

単独で祀られるマラ石。

確かに見た目はそうなのですが、実はその対になるフグリ山との対比で語られることが多いようです。マラ石の対といえば、女性の存在が浮かんでくるのですが、どうもそうではないようです。

マラ石と一円玉

マラ石の亀頭部分に一円玉が置かれていました。

願い事はやはり、子宝祈願といったところでしょうか。豊かな社会となった現代では、五穀豊穣の願いが薄らいでいるような気が致します。古来より、人間の根本的な立ち位置には五穀豊穣と子孫繁栄の願いがありました。今も基本的には変わることのない願いですが、時代と共にその中身は少しずつ変容しているようにも思われます。

飛鳥マラ石の案内板

謎のマラ石が解説されていました。

明日香村にある謎の石造物の一つ。男性器を模したもので本来は真っ直ぐに立っていたともいわれている。地元では、飛鳥川をはさんだ対岸の丘陵を「フグリ山」と呼び「マラ石」と一対のものと考える説もある。

子孫繁栄や農耕信仰に関係した遺物と考えることもできよう。

昔は直立していたかもしれないと案内されていますね。

でも、今の方がリアルに角度が付いていて頭の中で直結します(笑) 子孫繁栄農耕信仰とくれば、飛鳥坐神社に伝わるおんだ祭のことも思い出します。天下の奇祭と言われるおんだ祭ですが、男女の営みを面白おかしく演じる所作には思わず笑みがこぼれます。

飛鳥川を挟んだ対岸の丘陵にあるという「フグリ山」。

フグリとは陰嚢(いんのう)のことを意味しています。つまり、睾丸・金玉なわけですが、男性器の男根と睾丸が一対になっているというのです。何とものんびりした光景ですね(笑) フグリという言葉に関してですが、松毬(まつかさ)、つまり松ぼっくりのことを「松ふぐり」と言うこともあります。松ぼっくりの形を想像すれば、確かに陰嚢に似ていなくもありませんね。

古語辞典を紐解けば、その昔は「陰嚢落とし(ふぐりおとし)」という風習もあったようです。42歳の厄年を迎えた男性が節分に氏神を参拝し、人に見つからないように褌(ふんどし)を落として来るのだそうです。厄落としのために褌を落とすわけですが、それこそ見つかったら一騒動ありそうです(笑)

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マラ石の場所

マラ石へのアクセス方法ですが、石舞台古墳の駐車場に車を停めて、そこから徒歩で祝戸方面へ向かうのがいいのではないでしょうか。マラ石は比較的分かりやすい場所にあります。道案内に従えば、よほどのことが無い限り迷うこともないでしょう。

ならクル案内標識

石舞台古墳の駐車場に車を停め、ピラミッド型古墳として一躍注目を集めた都塚古墳を見学します。その後、そのまま祝戸方面へと徒歩で向かいます。

奈良県内ではサイクリングが推奨されていて、街の至る所で「ならクル」の道案内を見かけます。吉野や平城宮跡の方向が示されていますが、この場所からだとかなりの距離がありそうですね。

かめバス阪田バス停

しばらく進むと、右手にかめバスの停留所「阪田」が見えて参りました。

マラ石はすぐそこです。さらに、バス停から坂田寺跡までも徒歩数分の距離です。

有馬皇子御歌

有間皇子の歌が掲げられていました。

家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕 旅にしあれば 椎(しい)の葉に盛る

我が家にいれば器に食べ物を盛るのに、今は旅に出ているので椎の葉に盛っていると歌います。有間皇子が捕らわれの身として、紀ノ國に護送される時に詠んだのではないかと言われています。

マラ石の道案内

停留所脇に道標が立っています。

ここからセミナーハウスの祝戸荘まで520m、マラ石までは100mと出ています。この先、右方向へは車の進入が禁止されているようです。ちなみに、このまま右へ折れずに真っ直ぐ進んで行けば稲渕方面に出ます。棚田風景や案山子コンテストで有名なエリアですね。

マラ石の道案内

道標を右に折れて、そのまま道沿いに進んで行きます。

やがて左手にマラ石らしき石造物が見えて参りました。

飛鳥のマラ石

飛鳥のマラ石。

緩やかにカーブを描く歩道脇に立っています。

飛鳥のマラ石

マラ石の上の面は割と平ですね。

ちょっと罰当たりですが、腰掛石にもなりそうな感じです。

かつては何かの結界石として、この場所に垂直に立っていたのでしょうか。あるいは道標だったのか?様々な憶測を呼ぶ古代遺物です。

水仙とマラ石

水仙の向こうにマラ石を望みます。

無機質な石がそこにあるだけでは味気ないですよね。私が訪れた時には水仙や蝋梅が咲いていて、少しは目の保養にもなりました。

蝋梅とマラ石

マラ石の背後には蝋梅も開花していました。

さすがに匂いますね。

蝋梅の匂いを嗅ぐと、そこはかとない春の気配を感じます。

マラ石の血管

まるで血管のように浮かび上がる筋が見られます。

意図的に刻まれたものなのでしょうか。

穂とマラ石

この辺りも、その昔は坂田寺の寺域だったのかもしれません。

マラ石周辺の発掘調査も行われており、7世紀中頃に埋没したとみられる方形石組池なども見つかっています。飛鳥時代の古瓦も出土したと言いますから、坂田寺の創建年代を知る上で貴重な発見だったのではないでしょうか。

マラ石の亀頭

マラ石の亀頭部分。

古代人たちはこのマラ石にどんな願いを込めたのでしょうか。

飛鳥のマラ石

この角度にまたリアリティが感じられます。

飛鳥に謎の石造物が多い理由の一つに、斉明天皇による道教世界再現説が唱えられています。斉明天皇は不老長寿の夢の世界を頭に描いていたのかもしれません。性崇拝ともどこかで結び付いているような気がしてなりませんね。

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鞍作氏の氏寺・坂田寺跡を見学

飛鳥のマラ石から少し上手に、鞍作氏の氏寺と伝わる坂田寺跡が残されています。

飛鳥川東岸の傾斜地にあったとされる坂田寺。

今もその地形は残されており、マラ石から緩やかな傾斜を上がった所に坂田寺跡はあります。

坂田金剛寺

マラ石から上手へ上がって行くと、「坂田金剛寺」と刻まれる石碑が建っていました。

なぜに金剛寺なのか?その辺りはよく分かりませんが、ここが本当に大寺のあった場所なのかと疑うほど、辺りは静寂に包まれていました。

坂田寺跡

杭が打たれて区画されているようですね。

小さな公園が右手に広がっていました。

坂田寺跡の解説板

坂田寺跡の解説パネル。

持統天皇の時には、大官大寺・飛鳥寺・川原寺・豊浦寺とともに、飛鳥五大寺の一つであった。

鞍作止利の父・多須奈が、用明天皇2年(587)天皇の病気回復を祈願して寺を建てたというが、一説では、止利が建てたともいう。本来は、鞍作氏の氏寺で、渡来人の建てた寺として最古であると伝えられている。そして、尼寺であったらしい。発掘調査によって、奈良時代の仏堂と回廊が確認された。飛鳥時代の主要伽藍は、まだ不明である。

坂田寺は尼寺で、鞍作氏の氏寺であったと書かれています。渡来人建立最古の寺というわけですね。

坂田寺跡

小さな公園の中心エリアです。

石のベンチと万葉歌碑が置かれていますね。

坂田寺の創建に関しては、二つの説が唱えられているようです。

司馬達等(しばたっと)の子・鞍作多須奈(たすな)が、用明天皇2年(587)に丈六の仏像を造顕して建立したとする説が一つ。もう一つは、多須奈の子・鞍作止利が飛鳥大仏安置の功により、天皇から水田20町を賜り、それを坂田寺の造営に充てたとする説です。

坂田寺の創建者は、鞍作親子の間で揺れているようですね。

坂田寺跡の万葉歌碑

坂田寺跡に建つ万葉歌碑。

御食(みけ)向かふ 南淵山(みなふちやま)の 巌(いはほ)には

落りしはだれが 消え残りたる

柿本人麻呂の万葉歌ですが、その意味は ”南淵山の岩の上にだけ降り積もった雪が残っているよ” ということになります。南淵山の岩とは、坂田寺跡から下手にある石舞台のことを指しています。

柿本人麻呂の万葉歌

石舞台古墳を詠った歌が坂田寺跡にある。

その位置的関係からも、あながち無縁ではなさそうですね。

阪田農園のイチゴ狩り

近くにはイチゴ狩りが楽しめる阪田農園があります。

明日香村は言わずと知れたあすかルビーの産地です。甘味と酸味の絶妙なバランスが人気のあすかルビーですが、当館でも出盛りの1月から5月にかけてデザートの材料によく使っています。

蝋梅とマラ石

匂いますね~、春を感じます。

朱鳥元年(686)には、天武天皇のために大官大寺・飛鳥寺・川原寺・豊浦寺・坂田寺の五寺で無遮大会が行われたことが文献に見られます。

無遮会(むしゃえ)とは、聖凡・道俗・貴賤・上下の別なく一切平等に財施と法施とを行ずる大法会のことを言います。寛容で、差別や制限の無い大法会が坂田寺でも行われたのです。飛鳥寺をはじめとする飛鳥五大寺に名を連ねた坂田寺の歴史を象徴する史実ではないでしょうか。

飛鳥のマラ石

坂田寺の発掘調査で確認されたのは奈良時代の伽藍です。

創建当時の伽藍に関してはまだよく分かっていません。

奈良時代の伽藍からは、金堂、回廊、さらには萬年通宝や神功開宝を含む鎮壇具などが出土しています。まだまだ謎の多い坂田寺ですが、その痕跡をマラ石周辺に探ってみるのも面白そうです。

<明日香村の謎の石造物>

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