推古天皇即位の地と伝わる向原寺(こうげんじ)の裏手に鎮座する甘樫坐神社。
この辺りの地名を豊浦と言いますが、推古天皇の皇居があった場所として知られます。聖徳太子を摂政として、飛鳥文化を花開かせた功績はあまりにも有名です。
甘樫坐神社の境内にある立石。
下から仰ぎ見るアングルによって、謎の石造物がさらなる迫力を感じさせます。
高さ3m、片麻岩の板状巨石で、拝殿向かって右側にドッカリと鎮座する姿は見る者を圧倒します。
巨石の前の古代裁判
推古天皇は崇峻天皇が蘇我馬子に殺された後に即位しています。
談山神社へ通じる多武峰街道を上がって行った所にひっそりと佇む崇峻天皇陵。
談山神社から飛鳥の石舞台古墳へ下りて行く道も整備され、より飛鳥が身近に感じられるようになった多武峰エリアですが、崇峻天皇から第33代推古天皇へのバトンタッチが地形を通してイメージされたような気がします。
Trial in Ancient Times と書かれていますね。
案内板の向こうに見えているのが、飛鳥五大寺の一つに数えられる向原寺(豊浦寺跡)の堂宇です。文字を追ってみると、古代における神明裁判の「盟神探湯(くがたち)」が案内されているのが分かります。
今もなお、立石の前で盟神探湯の神事が行われているようです。
4月の第一日曜日に開催される盟神探湯の神事。
桜の開花時期とも重なるだけに、毎年数多くの参拝客で賑わうのでしょう。さすがに私は観光シーズン真っ只中ということもあり、まだ一度も盟神探湯神事を見学したことがありません。おそらく今後も、なかなかそういうチャンスには巡り合えないのではないでしょうか。
拝殿の右側に立石が見えます。
今回の散策で、甘樫坐神社に推古天皇が祀られていることに初めて気付きました。
安堵町を散策していた時、熊凝精舎跡地の近くに推古神社があったのを思い出します。やはり聖徳太子の陰に推古天皇あり、ということなのでしょうか。向原寺は聖徳太子御遺跡霊場第12番札所に当たります。太子生誕の地として知られる橘寺も、ここ甘樫坐神社から徒歩圏内にあります。
立石の前に、何やら石組みのようなものが見られます。
この石組みの上で、盟神探湯神事の釜湯が焚かれるのでしょうか。
甘樫坐神社の拝殿。
明日香村の豊浦は、地形的に飛鳥川の曲流地に当たります。
「元興寺資財帳」などには、「等由良」「等由羅」と記されていますが、豊浦を「とようら」と読まずに「とゆら」と読むのは、こんなところにも原因があるのかもしれません。
前方の視界を遮る立石の迫力。
数ある飛鳥のミステリーストーンの中でも、単純明快にして、そのままストレートにメッセージの伝わって来る巨石です。盟神探湯との関係は定かではありませんが、立石を前にすると、下手な嘘は付けないなと思った次第です。