今年も盛大に催された三輪の初市大祭。
万葉集にも詠まれた古代の海柘榴市(つばいち)の守護神。それこそが三輪の恵比須神社なのです。
歌垣の場でもあった海柘榴市は日本最古の市場と伝わります。橿原市大軽町の軽市(かるのいち)、河内の餌香市(えがのいち)なども古代の市場として知られますが、地元ということも手伝ってか、三輪の初市大祭への思い入れは人並以上に強いものがあります。
鯛引き行列の鯛の尻尾にズームイン(笑)
宵戎に当たる毎年2月5日の午後3時頃から、木製の鯛、生の鯛、米俵をそれぞれに載せた3基の山車が地元の子供たちによって引かれます。鯛引き行列と呼ばれるお渡りによって、初市大祭の火蓋は切って落とされます。
延長4年(926)の長谷寺山崩れで市が移動
三輪坐恵比須神社の歴史を語る上で、長谷寺の山崩れによって引き起こされた初瀬川の氾濫を外すわけには参りません。
当館大正楼からもすぐ傍を流れている初瀬川ですが、恵比須神社の歴史とも深い関わりがあります。長年三輪に住んでいると、初瀬川が氾濫して床下浸水の被害に遭ったこともあります。しかしながら、私の記憶では床上浸水の現場は見たことがありません。普段は静かに流れる初瀬川ですが、上流に位置する長谷寺の山崩れによってかつては大きな被害が出たようです。
湯立神事の後始末をする講の皆様方。
迫力の湯立神楽は数年前に見学させて頂きました。巫女さんが撒き散らすお湯を浴びれば無病息災に過ごせると言います。奈良の冬を代表する恒例祭事・春日若宮おん祭などでも、大宿所祭の日に御湯立神事が執り行われるようです。一種の祓の儀式だと思われますが、春日若宮おん祭ではメインのお渡りの前に行われます。一方の三輪の初市大祭では、最終日に行われています。この違いは何なのでしょうね。
ニコニコ恵比須顔のエビス提灯(笑)
拝殿を背にした石鳥居の前に掲げられていました。
長谷寺の山崩れは延長4年(926)に起こっています。それまで繁栄を謳歌していた海柘榴市が流されたため、現在の場所に市と神社が移って来ました。金屋にあった海柘榴市が三輪の地に引っ越して来たのです。
迎春の大絵馬。
大国様と恵比須様の間で、今年の干支である申が団扇を片手に踊っています。
三輪の恵比須神社にそんな歴史があったとは、意外と知らない人が多いかもしれませんね。
三輪の初市では、その年の穀物や素麺の初相場が神託によって決められました。さしずめ商売の事始めといったところです。現在では周辺の素麺業者が相場を決めて、「三輪素麺初市相場奉告祭」が営まれます。
御供撒きの前に、太鼓の奉納もあります。
三輪の町に鳴り響く太鼓の音に誘われて、次から次へと境内に人が押し寄せます。大美和太鼓の演奏を聴いたのは、夏の恵比須神社夜市祭の時以来でしょうか。
上の写真は奉納演奏が終わって、後片付けをなさっている時の模様です。太鼓の収納袋のようですが、面白い形をしていますね。
舞台の上では御供撒きの準備も整っています。
かつての海柘榴市には老若男女を問わず様々な人々が集いました。隣国の唐からの来朝者を出迎えたのも海柘榴市でした。平安時代になると、長谷寺詣での参拝客で賑わったと云います。
初瀬街道から伊勢街道へと続く信仰の拠点とも言える場所に、かつての海柘榴市はありました。普段は静かな境内ですが、初市大祭の期間だけはかつての賑わいを取り戻します。
鯛引き行列のタイ。
社務所前の御神木とのツーショットです。
長谷寺の山崩れが恵比須神社の歴史を塗り変えました。金屋の海柘榴市から今の地に移り、もう既に一千年以上の月日が流れています。
長谷寺は隠国(こもりく)と呼ばれるように、山深い切り立った場所にあります。地形的に見ても、確かに山崩れが起きても不思議はないような気が致します。天変地異が歴史を変えることは往々にしてありますが、三輪坐恵比須神社も例外ではなかったということですね。