毎年12月16日に執り行われる良弁忌。
東大寺の初代別当を務めた良弁(ろうべん)僧正の忌日法要です。当日は東大寺鐘楼ヶ丘の俊乗堂、行基堂、念仏堂なども特別開扉されます。また、三月堂(法華堂)の秘仏・執金剛神立像なども拝観できるまたとない機会となっています。
東大寺開山堂(国宝)と良弁僧正坐像(国宝)。
開山堂前の拝観受付で500円の拝観料を納めます。チケット代わりに一枚刷りの御尊影付き拝観案内を手にし、人生初の開山堂内へと足を踏み入れます。記帳のみで拝観料不要の時期もありましたが、今年はささやかな寸志での入堂となりました。
『良弁杉由来』に伝わる良弁僧正の逸話
東大寺初代別当の良弁僧正を語る上で、二月堂前に聳える良弁杉を外すわけには参りません。
東大寺所蔵の『四聖御影』(南北朝時代)にも描かれる良弁僧正。東大寺創建に深く関わった ”四傑” が描かれているのですが、そこには ”東大寺四天王” とも言える聖武天皇、菩提僊那、行基菩薩、良弁僧正の姿が並びます。
東大寺開山堂に祀られる良弁僧正坐像。
伏し目がちの気魄みなぎる肖像彫刻ですね。右手にお持ちになられているのは「如意」という杖のようなもの。古色蒼然とした肖像彫刻とは裏腹に、手にする如意には独特の ”艶” が感じられました。最初は杖のようなものかと思っていたのですが、近くのお寺の方にお伺いすると、如意とは威儀を正すものなんだそうです。つまり、重々しい態度をとって自身を正すためにお持ちになられているようです。決して人を叩くためのものではありませんので、お間違いのないように(笑)
東大寺二月堂から見下ろす良弁杉と開山堂。
良弁杉にまつわるお話をここにご紹介しておきます。
良弁の生誕地は、相模(神奈川県)とも近江(滋賀県)とも伝わりますが、最近では近江百済氏の出身であるという説が有力です。その近江国に、長く子を授からなかった夫婦がいたそうです。
観音様に祈ってようやく男の子を授かったそうですが、その子が2歳の時に鷲にさらわれてしまいました。奈良の大杉の樹上で鷲が羽を休めている時、名僧の誉れ高い義淵僧正がやって来て男の子を助けて養育したと伝わります。義淵僧正に育てられた男の子こそが、後に東大寺初代別当となる良弁僧正だったのです。
宝形造(ほうぎょうづくり)の開山堂。
その後、良弁は30年の歳月を経て、仏の御加護により大杉の下で母と再会を果たします。歌舞伎や文楽の演目にもなっている『良弁杉由来』は、数奇な運命を辿った良弁の生涯を題材にしています。
良弁忌の拝観受付。
簡易テントが張られ、関連本やクリアファイルが販売されていました。
東大寺開山堂の入口付近。
開山堂の門を入って内側から撮影しています。東側に目をやると、二月堂が垣間見えます。
開山堂の中では、奈良三銘椿に名を連ねる良弁椿(糊こぼし)を見ることができます。赤い花に白い斑点が散らばる椿で、あたかも造花を作る際に白い糊がこぼれたようでもあります。糊こぼしの別名を持つ所以ですが、残念ながら12月16日のこの時期は開花していません。わずかにその蕾を観賞することはできました。東大寺二月堂には”良弁椿のお守り”も販売されていますので、記念にお買い求めになられてみてはいかがでしょうか。
お水取りの松明。
門を入ってすぐの所に展示されていました。
見事に炭化していますね。
ド迫力のお水取りですが、松明の火の粉をかぶることによってご利益に授かれると言います。
左手の塀越しには東大寺四月堂が建っていました。
毎年4月に法華三昧が行われることから「四月堂」と呼ばれています。
千手観音立像、阿弥陀如来坐像、さらには象に乗る普賢菩薩像なども安置されています。この四月堂も、16日当日には開扉されていました。靴を脱いでお堂に上がり、間近に仏像拝観を楽しみます。御朱印の受付もあり、窓口前には数人の列が出来ていました。
開山堂の井戸。
下駄状の覆い板が被せられ、おそらくこれは井戸だと思われます。
開山堂前の建物。
寺僧の参籠する場所でしょうか。
敷地内片隅に建つ石碑。
かろうじて良弁の文字が確認できますが、字数の少なさからも歌碑ではないかと思われます。熊笹に覆われ、ひっそりと佇んでいました。
開山堂を取り囲む塀。
割と低い塀に囲われていますね。
国宝の東大寺開山堂。
その手前に立つ木が、有名な良弁椿です。
開いた扉から拝観客の姿が見えていますが、方角的には東側の扉に当たります。東大寺二月堂の方を向き、ちょうどそこには実忠和尚坐像が安置されています。実忠和尚は二月堂を建立し、修二会(お水取り)を始めた人物として知られます。江戸時代後期の尊像で、良弁僧正坐像とちょうど反対方向を向く格好で祀られていました。
開山堂横の良弁椿(糊こぼし)。
開山堂拝観口(西側)におられたガードマンの方に良弁椿の場所をお尋ねしたところ、快く教えて頂きました。さすがに咲いていない状態だと、どれが良弁椿なのか分からないですからね(笑) つっかえ棒に支えられながらも、元気な青々とした葉を付けていました。
ぷっくりとした蕾が見られます。
開花時期はおそらく3月頃なのでしょう。その準備が着々と進んでいるようにも見えます。
でも、よく考えてみると、開山堂の特別開扉日は12月16日に限られます。開花しているタイミングで間近に良弁椿を見ることができるのでしょうか?とっさに単純な疑問が湧き起ります。どうやら四月堂の塀越しに見ることが出来るようなのですが、果たして満足のいくものだろうかと思ってしまいます。
ちなみに「奈良三銘椿」は、東大寺開山堂の良弁椿、白毫寺の五色椿、伝香寺の武士椿(散り椿)とされます。
東大寺開山堂の西側入口。
私が訪れたのは正午前後でしたが、たくさんの拝観客で賑わっていました。
良弁僧正の最期ですが、宝亀4年(773)閏11月16日とされます。御年85歳でお亡くなりになられています。良弁忌が始められたのは、それから250年ほど後の寛仁3年(1019)のことなんだそうです。開山堂はその時に創建され、良弁僧正坐像も同時に造立されたと言います。ただ僧正像に関しては、その鋭い衣文表現などからも、様式的には9世紀後半の作とする説もあるようです。
開山堂と同時期なのか、あるいは開山堂よりも前なのか、その制作年代には意見も分かれるようですが、凛とした姿勢で威儀を正す良弁僧正坐像には東大寺別当としての威厳が満ち満ちています。
開山堂前にも小さな石碑が建っていました。
う~ん、残念ながら文字は読み取れません(笑)
開山堂内陣厨子に祀られる国宝坐像
東大寺開山堂は二重構造になっています。
そのことを知らなかったので、今ではその構造がとても印象に残っています。内陣が石の上に建っており、とても興味深く感じられたのです。長谷寺の十一面観音なども「大磐石の上に立つ」と表現されますが、どこかよく似た趣でした。
内陣と外陣に分かれる東大寺開山堂。
今、目にしている建物は後に造られたものです。建物内の内陣中央には八角造の厨子が据えられ、その中に良弁僧正坐像が安置されています。内陣の厨子の足元を見ると、石が剥き出しになっていました。石の上に立つ八角造の厨子?不思議に思って聞いてみると、現在のお堂は重源上人が東大寺再建の一環として正治2年(1200)に改築し、さらにその後、建長2年(1250)に現在地に移築したものなんだそうです。
厨子の周りには畳が巡らされ、ぐるりと一周できるようになっています。つまり、この部分が増築された外陣に当たる箇所とのことでした。内陣の構造や意匠には大仏様建築の手法が見られ、大変興味深いものがあります。
右手に持つ如意。
如意と言うと ”如意棒” のことを思い出してしまうのですが、これは決して如意棒などではありません。寺社で見られる如意宝珠に願いを託す人も多いでしょう。意のままに、思いのままに願い事を叶えてくれるという珠、それが如意宝珠です。良弁遺愛の如意は、それらとは一線を画しているのではないでしょうか。類まれなる自制心により、意のままにしていても悟りの境地に居る・・・そんな世界観が観て取れるのです。
そう、達観ですね。
良弁杉と二月堂。
今の良弁杉は三代目を数えます。
良弁由来の杉の木を背にします。
高僧の義淵に育てられた良弁は、聖武天皇の信任を得て東大寺建立に尽力します。この木で良弁が発見されなかっとしたら、今の東大寺はあるのだろうか?今更” タラれば” を語っても仕方がないのですが、ふとそんなことを思います。
実に写実的な肖像です。
肩まで届くかと思うほど長い耳をしているのが仏像の特徴ですが、良弁僧正坐像の耳はいかにも現実的です。背後の厨子には、散華のような葉がひらひらと舞い落ちます。「威儀を正す」という言葉がストレートに伝わってくる御尊像ですね。
東大寺二月堂の絵馬と一緒に記念撮影(笑)
良弁忌に当たるこの日は、来年の修二会に参籠する練行衆11人が発表される日でもあります。東大寺にとって、大変重要な節目の一日であることがよく分かります。
二月堂の火防護符。
東大寺拝観の際は、金剛力士像が睨みを利かせる南大門を抜け、中門脇の拝観受付から大仏殿へと入ります。巨大な毘盧遮那仏を見上げ、感嘆の声を漏らす方も多いでしょう。大概はこれで終わりなのですが、それでは勿体ないのです。
とにかく東大寺境内は広い!
大仏殿から東側には鐘楼ヶ丘の俊乗堂や行基堂、さらに上手の二月堂や三月堂、そして東大寺鎮守の手向山八幡宮へと続きます。西に足を伸ばせば、指図堂や戒壇堂が控えています。見所いっぱいの東大寺を満喫するには、いくら時間があっても足りません。
修学旅行生の集団が見えます。
二月堂の石段下に整列し、先生の声に耳を傾けておられました。舞台からの景色はどんな感じだろう?歴史見学に胸をときめかせる瞬間ですね。
二月堂の本尊は大観音(おおかんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像です。何人たりとも見ることの出来ない絶対秘仏とされます。
ミステリアスな絶対秘仏に対し、一年に一度だけでもそのお姿を拝ませて頂ける良弁僧正。
私にとっては初めての拝観でしたが、とても印象に残る一日となりました。行基堂で相対した行基菩薩坐像もいい思い出です。ふくよかで大きな念仏堂の地蔵菩薩坐像も秀逸でした。
東大寺開山堂の特別開扉は、12月16日午前9時半頃より午後4時までとなっています。