横口式石槨の鬼の俎・雪隠古墳

明日香村にある鬼の俎・雪隠古墳

飛鳥散策の途中、欽明天皇陵から亀石へと続く道の脇に突如として姿を現します。飛鳥時代の7世紀後半における、終末期古墳の石室の一部とされます。

鬼の雪隠

鬼の雪隠

天武・持統天皇陵からも程近く、この辺りはお墓の密集地帯と言えるかもしれません。このまま飛鳥駅方面に足を伸ばせば、壁画で有名な高松塚古墳へと続きます。

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はめ込み式の閉塞に使われた底石の枘穴

鬼の雪隠と鬼の俎は一つのセットになっています。

鬼の雪隠が蓋石で、鬼の俎がその底石というわけです。天井石床石の関係ですね。

食品衛生上、清潔さを保たなければならない俎板(まないた)に、おトイレを意味する雪隠とは何事か!とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、元をただせばどちらも石室の一部だったわけです。

それにしても、石室を構成する二つの石がなぜ離ればなれになっているのか?

確かな理由は謎ですが、何かの作業中に、蓋石に当たる部分の ”鬼の雪隠” がこの場所に転げ落ちたものと思われます。その証拠に、ひっくり返った格好で今の場所に留まります。

鬼の俎

こちらが、鬼の俎

端っこの中央部分に枘穴(ほぞあな)が見られますね。

これは何かを嵌め込んだ跡です。おそらくここに石栓をはめ、横口式石槨を塞ぐ石をとめたのでしょう。飛鳥周遊歩道の道を挟んだ斜面の下に鬼の雪隠、その反対側の小高い丘陵部分に鬼の俎という配置です。

横口式石槨の底石というだけあって、さすがに平べったい格好をしています。横口式石槨は棺を納めるとほとんど隙間がありません。追葬を想定せずに葬られていますので、あくまでも一人用の埋葬施設です。明日香村に隣接する高取町の寺崎白壁塚古墳なども横口式石槨ですが、かなりコンパクトな石室空間であったことを思い出します。

鬼の俎・鬼の雪隠は欽明天皇の陪塚として造られたという説がありますが、その石材は花崗岩です。益田岩船や酒船石などもそうですが、飛鳥の謎の石造物には花崗岩製のものが数多く存在します。

鬼の雪隠

鬼の雪隠を上方から見下ろすこともできます。

この辺りはかなり高台になっているのですが、鬼の雪隠からさらに上手の方向に、長閑な飛鳥の風景が堪能できる展望台のような場所が開けています。以前にここを訪れた時は無かったように記憶していますので、最近になって整備されたのかもしれませんね。

鬼の雪隠

蓋石に当たる ”鬼の雪隠” にも、何かをはめ込んだ跡のような箇所が見られます。

地面に接しているこの部分が、ちょうど開口部に相当していたのではないでしょうか。俎と雪隠がワンセットであったことを如実に物語っています。

鬼の俎

鬼の俎の囲いをぐるりと回って、反対側から撮影しています。

表面に見られる穴は、高取城築城の際、材料としての石を割ろうとした跡ではないかと言われてます。

鬼の俎・雪隠古墳の英語案内

Demon’s Toilet と案内板にも記されています。

鬼が用を足したトイレであることが解説されています。もちろん、これはあくまでも伝説ということになるのですが、この辺りはその昔、「霧ヶ峰」と呼ばれる霧の発生地帯であったようです。明日香村立聖徳中学校敷地の小字名が「キリケ峯」です。立ち込めた霧の中で道行く旅人を惑わせ、鬼の俎で料理し、さらには鬼の雪隠で用を足したという逸話です。

あ~恐ろしい(笑)

外国人観光客も数多く訪れる飛鳥の地。

英語のガイドをよく見てみると、”confuse travelers” の文字も見えます。この場所に鬼が現れて、通行人を喰ったという伝説が残されています。

宮内庁の看板

歩道側から鬼の雪隠へ近づきます。

ここを回り込むようにして、冒頭の鬼の雪隠と対面します。

宮内庁の管理下に置かれているのでしょうか?立ち入り禁止の文字が見て取れます。

鬼の俎の枘穴

はっきりと枘穴が確認できますね。

鬼の俎とはよく言ったものです。決して意図したものではなかったはずです。

偶然にも蓋石が転げ落ちてしまい、離れた場所に居続ける二つの石造物。二つの石を結び付けるエピソードを誰が考え出したのでしょうか?誰もが思い付きそうなお話。そんな風に捉えることもできます。

石槨内の寸法からも、大化の薄葬令の規定通りの大きさであると言われます。

俎と雪隠を結び付けたのは鬼であり、霧であり、物を食べて排泄するという古来変わらぬ生活の営みであったわけです。ユーモラスでかわいい亀石には無い、質実剛健な雰囲気の漂う鬼の俎・鬼の雪隠。

飛鳥を訪れたなら、一度は見学しておきたい石造物の一つです。

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