明日香村になぜ石造物が多いのか?
謎に包まれた疑問に対する答えは、決して一つではないものと思われますが、その中の一つに斉明天皇による道教世界の再現説が挙げられます。
亀形石造物に隣接する明日香民俗資料館に於いて、祭祀儀礼を行う斉明天皇の姿を描いたCG映像を観たことがあります。不思議な形をした亀形石造物の前に跪き、祈りを捧げる斉明天皇が描写されていました。
土木工事に執心した斉明天皇
7世紀の女帝・斉明天皇。
明日香村に点在する石造物は枚挙にいとまがありません。導水施設とみられる酒船石に亀形石造物、石神遺跡に飛鳥京苑池遺跡、さらには飛鳥観光の人気者である亀石に善悪二面の顔を併せ持つ二面石等々、数え上げたらきりがありません。そして、これらのほとんどが斉明天皇の時代に造られたことを明記しておきます。
亀石。
「日本書紀」には、斉明天皇の土木工事の様子が記されています。
天理市の石上山から12km離れた橿原市の香具山まで、船200隻に積んで石材を運河で運び、宮の東の山に石を積み重ねて垣としたと記録されています。こうした行為を「狂心の渠(たぶれごころのみぞ)」と誹謗されながらも、斉明天皇が目指したものは何だったのでしょうか?
明日香名物の古代米ソフト。
石舞台古墳近くのお店で購入し、口いっぱいに頬張ります。
飛鳥川の畔に佇む弥勒石。
斉明天皇が目指した理想郷こそ、中国から伝えられた道教が描く不老長寿のファンタジーワールドだったようです。
道教とは、黄帝・老子を教祖と仰ぐ多神的宗教で、無為・自然を旨とする老荘哲学の流れを汲んでいます。そこに陰陽五行説や神仙思想が加味され、不老長生の術を求めて符呪・祈祷などを行います。
亀形石造物の拝観受付手前に咲く桜。
飛鳥の新時代を築くために、酒船石や亀形石造物などの導水施設を造り、飛鳥王権の儀礼や饗宴に使用していたのではないかと思われます。世界に開かれた国際社会にも通用する舞台設定の遺構こそが、飛鳥に点在する石造物であるという見方もできます。斉明天皇の迎賓館と言われる石神遺跡などは、その最たるものではないでしょうか。