かつて黒塚古墳の墳頂にあった石碑。
天理市柳本町にある黒塚古墳は、33面の三角縁神獣鏡が出土したことで知られる前方後円墳です。お濠の脇を歩いていると、柳本村民が刻んだという碑文がありました。
現在は墳丘の麓に下ろされています。
江戸時代末期には、黒塚古墳の墳頂に稲荷神と並んで建っていたようです。
五穀豊穣を祈った鎮守の森!黒塚古墳の歴史
JR柳本駅から徒歩でアクセスできる黒塚古墳。
黒塚古墳のエリアですが、江戸時代には織田家の柳本藩陣屋がありました。今も周辺にはかつてのお城の名残が感じられます。近くには織田有楽斎の墓もあり、織田家由来の建勲神社も祀られています。
黒塚古墳の墳丘。
お濠の外枠には花壇が設けられ、季節の花を楽しむことができます。この位置からだと墳丘も綺麗に入り、写真映えがしますね。
黒塚古墳の墳頂。
埋葬施設は竪穴式石室だったと言います。
併設する黒塚古墳展示館へ行けば、リアルに再現された竪穴式石室を見学することができます。
墳丘を下りた所にある石碑。
一番左側の大きな碑が、柳本藩の安寧を祈願する石碑です。
碑文の要旨。
文政6年(1823)壬羊(みずのえひつじ)の歳の春(旧暦2月)鬱蒼と茂った黒塚を整地し、頂上に稲荷神の祠と、この碑を並べて建てた。柳本藩中が安けく穏やかであり嘉穀(こくもつ)が豊かに実りますようにと神に祈り鎮守の森となりますように。ということである。
石碑は柳本村民が建てたものである。 天理市教育委員会
全て漢字で記されています。
言わんとするところは何となく分かりますね。
石碑の右側には、金毘羅大権現と庚申さんが祀られています。
これらもおそらく、現在地に寄せ集められたものでしょう。
黒塚古墳の管理棟でしょうか。
古墳の西側にひっそりと居を構えていました。
訪れたのは桜の季節。
黒塚古墳は隠れた桜の名所です。
見頃を少し過ぎたタイミングだったためか、見事な花筏(はないかだ)を見ることが出来ました。
水面に散る花びらが密集し、まるで筏を組んでいるようです。
ピークを過ぎた葉桜もいいものですね。
時の流れは絶えずして、世の栄枯盛衰を目の当たりにします。
鎮守の森としての役目も担っていた黒塚古墳。時代を経ながら、人々の関心も移り変わっていくのでしょう。三角縁神獣鏡が出土した頃は、これぞ卑弥呼の墓ではないかとフィーバーしましたが、今ではその熱も冷めて、再び静かな眠りに就こうとしています。