藤原宮跡に綺麗なコスモスが咲いていました(2011年9月)。
平城京よりも歴史的に古い藤原京。
平城京が710年なら、飛鳥の地にある藤原京は694年なんです。平城遷都1300年祭で盛り上がりを見せた奈良ですが、藤原宮跡にももっと光が当たって良いのではないか・・・そんな風にも思います。
藤原宮跡に開花するコスモス。
コスモスの向こうに見える緑の丘陵は、国見の山として崇められた天香久山です。
鴨氏が暮らした鴨公(かもきみ)
藤原宮跡の周囲を歩いていると、珍しい地名を発見しました。
歴史好きを惹き付けるであろう、謎に満ちた地名。
この辺りを鴨公(かもきみ)と言うようです。
奈良にはよくある難読地名ですね。藤原京資料室からもほど近い場所です。
鴨公地区は橿原市発足前の高市郡鴨公村の区域とされます。
鴨公村は明治22年(1889)の町村制施行により、高市郡の七ヵ村が合併し、高殿村にあった鴨公の森(伝高市御県坐鴨事代主神社)にちなんで鴨公村となりました。
神社に”鴨”の名前が付いていると、京都の下鴨神社を思い出すのですが、実は下鴨神社とも細い糸でつながっているんです。
鴨公から南へ下った所に咲く、本薬師寺跡のホテイアオイ。
藤原宮大極殿の地を「鴨公」と呼んでいるわけですが、ここには奈良時代以降鴨氏が暮らしていたと伝わります。
藤原宮跡には、キバナコスモスも咲いていました。
奈良の墨坂神社や八咫烏(やたがらす)神社のページでもご案内致しましたが、大和朝廷の成立を助けたのが鴨氏であったと言われています。
現在でも八咫烏神社と下鴨神社は密接な関係で結ばれています。
本薬師寺跡のヒガンバナ。
神武東征~大和朝廷成立~藤原京~下鴨神社へと、鴨氏の歴史は続いていきます。
藤原宮跡のある鴨公に咲くコスモスを眺めながら、奈良から京都へと続く歴史の流れがふと頭をよぎりました。
鴨公(かもきみ)、是非覚えておきたい奈良の歴史的地名の一つですね。