藤原宮跡を訪れた際、北方の醍醐池へと足を運んでみました(2013年)。
「醍醐町総代」と書かれた案内板を右手に見て、桜並木の間を北へ進みます。やがて正面に観音様らしき像が建っていました。
醍醐池の桜並木。
醍醐池は桜の名所として人気です。毎年桜の季節にもなると、満開の桜の木の下で数多くの人が花見を楽しむレジャースポットにもなっています。
桜の名所!供養塔に見る歴史の真実
そんな楽しい場所になぜ供養塔が建てられているのでしょうか。
醍御池の北西隅に建つ供養塔。
木々に囲まれ、とても優しい表情をしておられます。
供養塔の下に石碑が刻まれています。
「人有り 我有り」と題された石碑には、醍醐町の言い伝えが記されていました。どうやら醍醐池には、数多くの方々が埋葬されてきた歴史があるようです。
行商でこの地を訪れた際に倒れてしまった方々、さらには封建時代が故に公にできないという理由で、この場所に埋葬された人々・・・そんな方々の思いの詰まった場所であることを改めて知らされました。
醍醐池の畔から北の方角を望むと、そこには大和三山の耳成山が見えます。
大和三山に囲まれた風光明媚な藤原宮は、今も昔も変わらずにこの場所にあり続けます。
醍醐池から南東方向に目をやると、これまた大和三山の香久山を望むことができます。
藤原京資料室でボランティアガイドの方もおっしゃっていましたが、藤原宮の面積は実に広大で、今居る醍醐池の辺りもお宮の中にすっぽりと入ってしまいます。
藤原旧跡保存という名目で、醍醐池が地元の方の手を離れていくのは致し方の無いことなのかもしれません。文化庁への働きかけも続けられているようですが、供養塔には醍醐町に住まう方々の思いが込められています。
醍醐池から西へ徒歩5分余りで、薔薇の名所として知られる小房(おふさ)観音があります。
イングリッシュローズをはじめとする様々な種類の薔薇を楽しみながら、醍醐池に葬られた昔の人たちのことを思います。
藤原宮跡の敷地内から望む香久山。
長谷寺、談山神社、安倍文殊院、大神神社、石舞台古墳など、有名どころの桜を愛でるのもいいですが、藤原宮跡と共に歴史を歩み続けてきた醍醐池の畔で花見を楽しむのも、また違った味わいがあるのではないでしょうか。
桜並木の桜がフェンスを超えて、勢い良く醍醐池の方へ張り出しています。
人有り 我有り。自分が今有るのはなぜなのか?普段は深く考えることもないテーマではありますが、醍醐池にそっと寄り添う桜の木を見ていると、地元の方の思いに寄り添っているような気がして参ります。
伝えていきたい思い。
醍醐池の供養塔には、歴史の表舞台には出てこない深い真実が込められています。