ソテツと菊水紋の浄教寺

奈良市上三条町にある淨教寺(じょうきょうじ)

浄土真宗本願寺派に属するお寺で、奈良の三条通沿いに位置しています。JR奈良駅から春日大社一之鳥居へ向かって真っすぐに伸びる三条通は、奈良へおでかけする際にはいつも通る道です。そこにお寺があることは知っていたのですが、なかなか山門をくぐることはありませんでした。

奈良の浄教寺

淨教寺山門掲示板舎

山門と掲示板舎は、平成17年に国の登録有形文化財の指定を受けています。

三条通に面して建つ切妻造・銅板葺の掲示板舎には、いつも浄教寺の行事日程が案内されています。今回も元旦の午前7時30分から本堂にて催される元旦会(がんたんえ)、1月11日の写経の会などが掲示されていました。

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樹齢300年余のソテツが見所

浄土真宗の門徒でもなければ、なかなか敷居の高い境内です。

しかし、基本的には境内は自由に拝観できるようです。江戸末期の山門をくぐって中に入ると、本堂前に大きな蘇鉄(そてつ)が植わっていました。

浄教寺のソテツ

淨教寺のソテツ。

見るからに生命力あふれるソテツ!淨教寺がこの地に移築された時に植えられたものだそうです。老樹でありながら、その樹勢の強さには驚かされます。何かこう、このエリアだけ南国の空気が醸されていますね。

浄教寺のソテツ

昭和54年に奈良市指定文化財になった浄教寺のソテツが案内されていました。

浄教寺は浄土真宗本願寺派に属し、最初、河内国(大阪府)にあり、16世紀に大和国(奈良県)に移ったとされます。現在の境内地は、慶長8(1603)年に徳川幕府から寺地として認められたものです。

山門は均整の取れた造りで、各所に動植物・渦・雲等の彫刻を施しています。掲示板舎は小規模ながら掲示板の受木(うけぎ)に彫刻を施すなど丁寧なつくりです。いずれも三条通りの歴史的景観の形成に寄与しています。

また現本堂は奈良県技師・岸熊吉の設計で、昭和19年上棟、第二次世界大戦の影響で工事は長期化し、同43年竣工しました。

本堂前のソテツは、根株の周囲6.5m、一本の株から25本もの幹が出ている珍しいもので、巨樹として貴重です。

1本の株から25本の幹!これは素晴らしいですね。最も太い幹周りは直径1.5mにも達するそうです。

浄教寺のソテツ

躍動感あふれる25本の幹。

果たして地中には、一体どれほどの根が張られているのでしょうか。

浄教寺境内

靴を脱いで本堂に上がります。

花頭窓の付いた建物の名前を樹心堂と言います。その背後に見えているのは、ホテルフジタ奈良ですね。

浄教寺の寺紋

淨教寺の寺紋とされる菊水紋

上半分が菊花、下半分が流水を表しています。

第6世円誓の時、楠正季(くすのきまさすえ)の子息の正忠が初陣の際に深手を負い、円誓の養子となりこの寺で出家したそうです。出家して空信の名を賜り、さらには南朝光明院帝(後醍醐天皇)の勅願所となりました。それ以来、淨教寺の寺紋は九耀菊水と定められたようです。

天皇家とゆかりの深い菊花紋ですが、浄教寺の紋にも使われるようになった経緯がよく分かりますね。

浄教寺境内

一際異彩を放つ樹心堂。

高欄が配されているところを見ると、楼上にも登ることができるのでしょうか。

九条山の扁額

本堂正面には、山号「九条山」の扁額が掲げられます。

淨教寺の開基は、親鸞聖人の直弟子・行延法師です。『淨教寺由緒略記』によれば、元河内国八尾の武士の出身とされます。寛元2年(1244)の3月に出家して、法名の行延(ぎょうえん)を賜りました。

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フェノロサの講演が行われた淨教寺本堂

淨教寺の本堂は昭和11年に失火により全焼しています。

再建された本堂が竣工したのは昭和43年のことで、厳かな落慶法要が営まれたと伝えられます。特筆すべきは、この本堂に於いて近代日本美術の父と仰がれるアーネスト・F・フェノロサが、日本の文化財の尊さを説く歴史的講演を行ったことです。

浄教寺本堂の廊下

フェノロサの講演が行われたのは、明治21年6月5日に遡ります。

浄教寺の本堂は焼失してしまっていますから、現在の本堂内で行われたわけではりません。それでも、紛れもなくこの場所でフェノロサは文化財の重要性を説いたのです。奈良県知事や要人、さらには市民500名を前に奈良の宗教・美術・文化の重要性とその保護の必要性を訴えかけました。

本堂の蔀戸

蔀戸が上げられていますね。

古社寺の宝物調査で奈良を訪れていたアーネスト・フェノロサ・・・当時の日本に残されていた文化財の価値に気付いたフェノロサは、「奈良の諸君に告ぐ」という歴史的講演を行いました。往々にしてその中にどっぷり浸かっていると、物事の価値に気付かないものです。当時の奈良県民も灯台下暗しだったのかもしれませんね。

時代は下って現在の奈良県内でも、奈良観光のPRに熱心だったり、奈良の持つ文化財の重要性に気付いておられる面々は県外出身の方に多いような気が致します。時は移れどですね。

浄教寺山門

浄教寺山門。

観光客がひっきりなしに行き交う三条通に面しています。

浄教寺山門の意匠

山門の扉には見事な彫刻が施されていました。

まるで飛び出す絵本ですね(笑)

浄教寺本堂

浄教寺本堂とソテツ。

浄教寺の御本尊は阿弥陀如来立像(鎌倉時代)とされます。

戦国末期の石山籠城の際、12世行春の忠節を尽くした功により、天正19年(1591)顕如上人から内仏の御本尊阿弥陀如来を拝領したと伝わります。

近代日本美術の父アーネスト・フェノロサ

フェノロサ講演の地の案内板。

本堂前に立てられていました。

フェノロサで思い出すのが聖林寺の十一面観音ですね。優美なお姿で知られる国宝十一面観音立像を絶賛したと伝えられます。天平彫刻の傑作を目にしたフェノロサの感動はいかばかりのものだったのでしょうか。

浄教寺のタラヨウジュ

境内の多羅葉樹。

葉っぱの裏側に文字が書けることで知られます。県内の寺社巡りをしている中でも、この多羅葉樹の木をよく見かけます。斑鳩の法起寺や長谷寺門前の法起院などにも植えられていました。

浄教寺の仏足石

おっ、こちらは仏足石ですね。

仏像崇拝が始まる前の信仰対象で、お釈迦様の扁平足が模られています。

浄教寺の鐘楼

境内には鐘楼もありました。

浄教寺の歴史には、かの徳川家康も深く関わっています。

河内から大和の地に移転してきたのも、家康公から南都上三条の御赦免の寺地を頂戴したのがきっかけです。以来、西本願寺の役寺として南都七大寺や市中外寺院との連絡、奈良奉行、小泉城主片桐氏などの連絡に当たっていたようです。

保護樹木ソテツ

浄教寺のソテツは、昭和47年に保護樹木に指定されています。

間伐、枝打ちなど、保護樹木の現状を変更する際には届け出が必要となります。安易な現状変更を防ぐ意味でも、大変重要な指定ですね。よく言われることですが、倒壊被害を補填するための樹木保険などにも加入済みなのかもしれません。

奈良の浄教寺では、月例行事として法話会や真宗講座なども行われています。

三条通を足早に通り過ぎるばかりでは縁は巡ってきません。ここはひとつ、時間の余裕を持って浄教寺に参詣してみるのもおすすめです!

<淨教寺の拝観案内>

  • 住所  :奈良県奈良市上三条町18番地
  • 宗派  :浄土真宗本願寺派
  • 駐車場 :普通車15台(無料)
  • アクセス:近鉄奈良駅から徒歩5分、JR奈良駅から徒歩10分
  • 周辺観光:伝香寺 率川神社 漢国神社etc.
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