多神社の太安万侶!スピリチュアルな太陽の道

田原本町多に鎮座する多神社。

古事記編纂で有名な太安万侶を祀る神社です。

多神社拝殿

多神社拝殿。

多神社のことを太神社と記した文献も残されていることから、太安万侶の「太」はどうやら多神社の「多」と通じているのではないでしょうか。

多神社拝殿の懸魚
古代豪族多氏の祖神を祀る多神社。 田原本町の飛鳥川畔にある古社で、延喜式神名帳の式内大社に名を連ねます。 そんな多神社の拝殿で面白い懸魚を見つけました。 多神社拝殿の懸魚。 珍しい形です。 基本的には蕪懸魚を三つ合わせた三花懸魚なんですが、...

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多氏の始祖・神八井耳命!下ツ道に建つ一の鳥居

多神社本殿

多神社の本殿。

四殿配祀の形式で、それぞれに御祭神が祀られています。

四殿の中でも特に、初期の頃から祀られている神武天皇とその長子である神八井耳命(かむやいみみのみこと)は歴史的に見ても重要です。

一間社春日造の本殿・・・奈良県指定文化財です。

多神社の狛犬

多神社の狛犬と拝殿。

太安万侶は古代豪族多氏の一族として知られます。その多氏の始祖が、神武天皇の皇子「神八井耳命」なのです。多神社の由来を辿って行くと、神八井耳命がこの地に来られ、「我、天神地祇を祀る 云々」と申されたことに発します。

多神社一の鳥居

多神社一の鳥居。

寺川沿いの中街道(下ツ道)に面しています。

一の鳥居の東方向に、大和の神奈備で知られる三輪山が見えます。

多神社二の鳥居

こちらが境内にある二の鳥居。

多神社は飛鳥川の東、県道50号線の南側に位置しています。最寄駅は近鉄橿原線笠縫駅で、駅からは南西へ1㎞ぐらいでアクセスできます。

サイクリングロードや太子道が近くを通っており、風光明媚な場所にあります。

多神社の鳥居額束

二の鳥居の額束に「正一位勲一等多大明神」と記されています。

由緒正しい神社であることが伺えます。

多神社手水舎

手水舎の龍。

多神社を語る上で、「太陽の道」や「レイライン」は重要なキーワードになってくるでしょう。

北緯34度32分。

長谷寺、大神神社、桧原神社、国津神社、箸墓古墳などの寺社や遺跡が同一ライン上に並びます。

太陽の道もそうなんですが、実はこの多神社、南の畝傍山と北の平城京を結ぶライン上にも位置しています。さらには、大和三山の天香久山と耳成山の頂上を結ぶ線上ともつながっています。

東面する祠と立砂!田原本町多
神八井耳命(かむやいみみのみこと)を祀る多神社。 その東方の集落内に、真新しい祠と立砂を見つけました。祠は東を向いて建ち、その先には神奈備の三輪山が聳えていました。 田原本町多にある祠。 祠の下にはロゼット葉を広げるガザニアが咲いていました...

多神社拝殿の懸魚

拝殿の蛙股と懸魚。

畏るべし多神社・・・正一位勲一等多大明神の名に恥じぬ、底知れぬパワーが感じられます。多神社本殿の後方には、神武塚と呼ばれる古代の祭祀遺跡も眠っています。

延喜式内大社でもある多神社。

多坐弥志理都比古神社

その正式名称を多坐弥志理都比古神社(おおにいます みしりつひこ じんじゃ)と言います。

弥志理都比古(みしりつひこ)?

多坐弥志理都比古神社の名前の由来には、大変興味深い話が伝わっています。

実はこの弥志理都比古こそが、神武天皇の皇子である神八井耳命なのです。本来は皇位を継承するはずの神八井耳命が弟に皇位を譲ったことから、”身を退いた”→ミシリツヒコ となったという歴史秘話(笑)

天皇の系図を見てみると、初代神武天皇の後の2代目天皇の名前は綏靖天皇となっています。綏靖(すいぜい)天皇は神沼河耳命(かむぬなかかわみみのみこと)とも呼ばれ、神八井耳命の弟に当たる人物です。

古事記を紐解くと、皇位継承に当たって兄弟間でその地位を譲り合ったりする話が他にも出て参りますが、なぜ神八井耳命は皇位を弟に譲ったのでしょうか?気になるところですね。

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