蘇我倉山田石川麻呂が発願した山田寺

奈良県桜井市にある特別史跡山田寺跡

国宝と同格とされる特別史跡ですが、全国に63件あります。その内の10件が奈良県内に存在し、平城宮跡や藤原宮跡はよく知られています。観光的には地味なイメージのある山田寺跡ですが、その歴史的価値は誰もが認めるところですね。

山田寺跡の東面回廊

山田寺の東面回廊跡。

四天王寺式伽藍配置を取り囲むように回廊が通っていました。その東側の回廊が地中に倒れたままの状態で出土しています。連子窓などの保存状態も良く、古代建築物の解明に一役買ったようです。

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乙巳の変で功のあった石川麻呂!山田寺の仏殿で自害

山田寺の発願者は蘇我倉山田石川麻呂です。

蘇我入鹿の従兄弟に当たる人物で、血統的には蘇我氏の傍系です。大化の改新の際、石川麻呂が上奏文を読み上げるタイミングで入鹿に斬りかかるという筋書きでした。石川麻呂は緊張のあまり冷や汗をかいたと言いますから、実直な方だったのかもしれません。

特別史跡の山田寺跡

特別史跡の山田寺跡。

手前の土壇が塔跡で、向こうの土壇は金堂跡です。山田寺は古代の四天王寺式伽藍配置ですから、南から北へ向かって中門、塔、金堂、講堂と一直線に並ぶスタイルです。一番手前に塔があるということは、仏舎利を納める塔が最重要視されていたのでしょう。

石標の右向こうに三輪山が見えていますね。

飛鳥資料館展示の山田寺東面回廊

山田寺から出土した東面回廊。

近くの飛鳥資料館に実物が展示されています。保存状態が良く、正にタイムカプセルです。

山田寺の塔心礎

山田寺の塔心礎(樹脂製レプリカ)

山田寺の塔では、巨大な花崗岩製の心礎が地下1mに据えられていた。天武天皇2年(673)に舎利8粒を入れた舎利容器などを納めて心柱を立てたと伝わる。調査時には舎利孔の中身は失われていた。

山田寺の塔心礎

飛鳥資料館の前庭に、塔心礎の複製が置かれていました。

山田寺跡の道標

県道15号線沿いの道標。

桜井明日香吉野線を多くの車が行き交います。ここから200m入った所に、特別史跡の山田寺跡があります。すぐ横に無料駐車場がありますので、是非お車の方も立ち寄ってみて下さい。

磐余道の道標

「磐余道」の石標。

“井上靖書”と刻みます。このポイントを右へ折れ、しばらく進むと見えてきます。

山田寺跡

山田寺は法相宗の興福寺に属するお寺だったようです。

蘇我倉山田石川麻呂が641年に造営に着手しました。大化の改新の4年前ですね。

後に石川麻呂は謀反の疑いを掛けられ、649年の3月25日に山田寺の仏殿で自害しています。妻子共々、非業の死を遂げた石川麻呂。その後、山田寺の造営は頓挫することになりますが、着手からおよそ40年後に無事竣工するに至りました。

大化山山田寺

山田寺の山号は「大化山」のようです。

大化の改新に由来することは間違いないでしょう。ちょうどこの辺りは、かつての講堂があった場所と推測されます。塔と金堂は回廊の中に建っていましたが、講堂は回廊の外の“北側”にありました。仏具などを収納する高床式の宝蔵もあったようですが、宝蔵の位置も回廊の外側で、東の外れです。

山田寺跡

これは昭和型板ガラスですね。

どなたもいらっしゃらないようでした。

特別史跡の山田寺跡

東面回廊跡から塔、金堂跡を見ます。

塔跡の背後の社叢は、東大谷日女命神社です。「東大谷日女命(やまとおおたにひめのみこと)」、「東」と書いて“やまと”と読ませるんですね。

山田寺塔心礎

山田寺の塔心礎レプリカ。

山田寺の塔は、石川麻呂の故郷である南河内方面を望んで建っていたと言います。

石川麻呂の墓と伝わる太子町の仏陀寺古墳へ行ったことがあります。山田寺で果てた石川麻呂の遺体を仏陀寺まで運んだという伝説があります。太子町の叡福寺には聖徳太子の墓もあり、仏教的なつながりを感じます。

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