山田寺跡と大化の改新!東回廊の連子窓出土

桜井から飛鳥へ続く磐余の道にある山田寺跡。

山田寺跡という名前の通り、今は礎石を残すのみとなっていますが、興福寺宝物館に収納されている山田寺仏頭はあまりにも有名ですよね。

山田寺跡

山田寺跡。

磐余(いわれ)の道は「山田道」とも言われるほど、この山田寺跡との関係がうかがえます。

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蘇我倉山田石川麻呂の山田寺!歴史的価値のある古代建築資料

山田寺の造営着手は641年(舒明天皇13年)です。

蘇我倉山田石川麻呂が建立したお寺で、2年後には金堂が完成し、やや遅れて回廊も造られました。

その後、649年(大化5年)に至って蘇我倉山田石川麻呂が反逆の罪を着せられ自害します。造営は一時頓挫することになりますが、685年(天武天皇14年)には丈六仏の開眼供養が行われ完成を見ます。

山田寺跡周辺地図

山田寺跡の周辺地図。

飛鳥資料館や飛鳥坐神社がすぐ近くにあります。日本最古の寺院・飛鳥寺との距離もさほど遠くありません。

山田寺跡回廊

史跡整備に伴う発掘調査では、東廻廊が倒壊したままの状態で発見されています。

遠い昔を語り継ぐ東廻廊の連子窓は、山田寺跡から300mほど西にある飛鳥資料館で展示されています。

国特別史跡の山田寺跡

山田寺跡は国の特別史跡。

360度見渡せる広い敷地の中で、小さい子供を連れたお母さんが何人かいらっしゃいました。

大化の改新の際に、天智天皇側に付いた蘇我倉山田石川麻呂。

談山神社に展示される多武峯縁起絵巻の中にも、鎌足の進言で蘇我倉山田石川麻呂の娘と政略結婚を果たす天智天皇(中大兄皇子)が紹介されています。彼の最期は自ら建立した山田寺の中であったと伝えられます。妻子8人と共に自害し、非業の死を遂げたそうです。

山田寺跡遠景

果たして中大兄皇子からの強いプレッシャーがあったのでしょうか。

今となっては歴史の謎に包まれますが、山田寺跡に身を置くと何かのメッセージが聞こえてきそうな気がします。

山田寺跡の奥の方に、東大谷日女(やまとおおたにひめ)神社があります。

境内の裏手に竹が生えていたのですが、土の中から竹の根っこ? ヒゲ根のようなものが見えたので、思わず撮影してみました(笑)

山田寺跡

四天王寺様式の伽藍を持つ山田寺跡。

桜井方面から磐余の道を南下して来ると、道端に井上靖書の道標があります。そこを左折すると、広大な敷地の山田寺跡が見えてきます。

JR桜井駅よりバスで山田寺跡へアクセスするには、石舞台行きバス「山田寺」下車徒歩3分となっています。