多神社から東300mほどの所にある姫皇子命神社。
読み方はヒメミコノミコトで、多神社の御祭神・神八井耳命の娘神を祀ります。笠縫邑の伝承地でもあり、御祭神は天照大神の若魂とする説もあるようです。
拝殿前のナガミヒナゲシ(長実雛芥子)。
目にも鮮やかなオレンジ色の花を咲かせます。地中海原産のケシ科植物で、4月から5月にかけて開花します。
ヒナゲシと言えば、なぜかアグネス・チャンのデビュー曲を思い出すのですが、”ひなげしの花”とはまた異なる品種のようです。花と一緒に、その長い実もゆらゆら風に揺れていました。
フェンスに囲われる姫皇子命神社の本殿
数年前にも姫皇子命神社を訪れています。
その時は拝殿奥にある本殿を見逃してしまいました。そのリベンジもあって今回の訪問となったのですが、三方をフェンスに守られた本殿に少し驚きました。
姫皇子命神社の社号標。
すぐ左手前には民家が迫っています。右奥に見えているのが多神社の社叢です。
参道沿いには百度石や手水処があり、さらに奥には境内社も控えていました。
拝殿奥の本殿。
本殿の千木は外削ぎですね。
外削ぎは男神を表す千木として知られます。娘神であるなら内削ぎのはずなのですが・・・。そう言えば、姫皇子命神社から東方の祠も外削ぎでした。
よく分かりませんが、多神社に倣っているのでしょうか。
まぁそんなことよりも、本殿背後のフェンスが気になりました。
三方向を覆うフェンス。
北、西、南の方角に向けて”囲い”がありました。
遠方からも見えているのですが、おそらく風除けでしょう。周りに遮るものは何も無く、風通しの良い場所に祀られています。唯一東の方角には拝殿はじめ、民家があります。東を向く本殿は、三輪山を意識しているでしょうから遮るわけにもいきませんよね。
あまり見られない光景です。
この場所ならではの祀り方です。東に寺川、西には飛鳥川が流れる風光明媚なエリアです。気持ちの良い風が吹き抜けますが、時にそれは警戒対象にもなるはずです。
風に揺れるナガミヒナゲシ。
名前の如く、長い実ですね。果実の中には芥子粒大の種が入っているようです。熟して乾くことにより間に隙間が生じ、風に揺れて飛んでいきます。ここはナガミヒナゲシにとって、生育環境の良い場所なのかもしれません。
明神鳥居が建ちます。
木々が生い茂る神社が多い中、実にスースーした境内です。
社頭に由緒書が出ていました。
多座彌志理都比古神社の摂社で、「大和志」十市郡新廟の頁に「姫皇子命神社 在ニ多社東一今弥ニ鎮守」と比定され、延長5年(927)成立の延喜式神名帳に記載された古社である。
神名帳十市郡大(おお)社の四皇子神の一「姫皇子命神社」とされ、「大和志」に俗に鎮守と称し、現在大字多の氏神である。
「五郡神社記」は本社二座と四皇子神を意富(おう)六所神社ともいった。
多の歴史
弥生時代前期~古墳時代後期 多遺跡
飛鳥時代 百済系渡来人多く住む(団栗山古墳) 太子道が多集落の西側を通る
奈良時代 下ツ道が多集落の東側を通る
姫皇子命神社は太子道と下ツ道の間にあるんですね。
飛鳥時代には百済系の渡来人が多く住んだようです。すぐ北方には秦河勝の秦楽寺(じんらくじ)があります。大陸と関係の深い地であったことを思います。
拝殿前には二頭の狛犬を配します。
拝殿の妻には懸魚の意匠も見られますね。
多神社の周辺には境外摂社が幾つか祀られています。
まるで衛星のように周りを取り囲み、多神社の一大信仰圏を成しています。その中にあって、東を向く神社は姫皇子命神社一社とされます。なぜなのでしょうか。
ブラシの木と玉垣。
その向こうに見える杜は多の観音堂です。
ブラシの木はおそらくこれから開花するのでしょう。
ブラシの木はオーストラリア原産と言いますから、ナガミヒナゲシと同様に古代日本には存在していなかった植物です。周りで命を繋ぐ植物は変われど、この地に居続けるヒメミコノミコト。
玉垣にもつっかえ棒がありました。
規則的に立ち、倒壊を防いでいるようです。
「皇太子殿下御誕生~」と書かれていますね。
石標の奥にも薄板状の石碑が建ちます。びっしりと漢字がしたためられていましたが、残念ながら解読不能です。
今回の参拝で改めて思いましたが、鬱蒼とした杜の中の小杜神社とは対照的です。祀られる場所によって色んな感じ方があるものですね。