太陽の道沿いにある國津神社。
元伊勢・桧原神社から西へ下り、箸中の集落にある国津神社を訪れました。境内には春の花々が咲き誇り、華やかな雰囲気に包まれていました。
国津神社拝殿と山車庫。
花壇には「ささゆりの会」と記されていました。
国津神社の御祭神はアマテラスの御子神五柱とされます。
アマテラスとスサノオの間で交わされた誓約の際、天照大神が身に着けていた「八尺の勾玉(やさかのまがたま)」を素戔嗚尊が噛んで吐き出すと、五柱の男神が生まれたそうです。
天忍穗耳命(あめのおしほみみのみこと)、天穗日命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いくつひこねのみこと)、熊野樟日命(くまのくすびのみこと)の5神。
天の安河で向き合う誓約!巻向川を挟んだ九日神社との関係
箸中の国津神社を語る上で、芝に鎮座する九日神社は外せません。
巻向川をはさんで両側に位置する国津神社は、古事記の伝承を今に伝えるお社です。
葦原中国(あしはらのなかつくに)から永久追放されたスサノオは、天上に居る姉のアマテラスに会いに行きます。
驚いたアマテラスは国を乗っ取られる不安から、武装してスサノオを待ち受けます。邪心の無いことを説明するスサノオに、アマテラスは誓約を持ちかけました。身に着けたものからお互いに子を作り合って、潔白の証明をしようというのです。
ホケノ山古墳の桜。
駐車場の縁に桜の木が数本植わっていました。
かつて天照大神を奉祀していた檜原神社から西へ下ると、石棺仏で知られる慶運寺があります。慶運寺からさらに西へ歩を進め、前方後円墳のホケノ山古墳に至ります。そこからさらに西方に国津神社は鎮座しています。
国津神社境内の市杵島神社。
宗像三女神の一柱・市杵島姫命を祀ります。
アマテラスとスサノオによる姉弟の誓約は、高天原にある「天の安河(あめのやすのかわ)」を挟み、向き合う格好で行われました。まずは姉のアマテラスが、スサノオの腰の「十拳の剣(とつかのつるぎ)」を噛んで吐き出すと、三柱の女神が生まれました。宗像三女神ですね。桜井市芝に鎮座する九日神社の御祭神です。
次はスサノオの番です。
アマテラスが身に着けていた勾玉を噛んで吐き出すと、五柱の男神が誕生しました。九日神社から巻向川を挟んで反対側にある、ここ国津神社の御祭神です。
スサノオはやや強引に、「僕の心が清らかだから、僕の持物から女の子が生まれた」。と言い張り、その後も高天原で大暴れしたそうです。
スサノオの乱暴狼藉に困り果てたアマテラスは、天の岩屋戸に引き籠ることになります。
川を挟んだ誓約に、川を挟んで鎮座する国津神社。
古事記の記述が、現在の鎮座地に重なります。
境内には桜も開花していました。
普段は殺風景な古社に、春の花々が彩りを添えます。
国津神社に桜が咲くとは知りませんでした。
北緯34度32分の太陽の道(レイライン)。
箸中の国津神社から遥か東方には、伊勢神宮があります。国津神社からしてみれば、お母様に当たる天照大神が祀られています。
国津神社を参拝した後、さらに西を目指しました。
三輪山とチューリップ。
JR万葉まほろば線のかまぼこ型踏切を越え、箸墓古墳へ向かいます。その少し手前に綺麗なチューリップが咲いていました。
三輪山は古代、サンライズの象徴でした。
日が昇る山であり、希望の証しだったのではないでしょうか。アマテラスの御子神を祀る国津神社に手を合わせ、久しぶりに古事記を紐解いてみるのもいいでしょう。