一気に攻め上がれない。
敵兵の侵入を防ぐため、様々な工夫が凝らされた城の防御網。葛城市歴史博物館に、中世の山城模型が展示されていました。筒井順慶に忠誠を尽くした布施氏の居城・布施城ですね。
急峻な山の斜面を利用して築城されています。
手前の緩やかな尾根に、帯状のラインが見えます。「畝状竪堀群(うねじょう たてぼりぐん)」と呼ばれる防御網です。別名を畝状空堀群とも言い、敵兵を一列に並ばせる仕組みのようです。
一気呵成の進軍を防ぐ竪堀!難攻不落の布施城
石垣による城郭が築かれる前の時代、布施城の守りは鉄壁に近かったでしょう。
一列に整列して進軍するほど非合理なことはありません。敵に狙われやすくなるばかりでなく、効率の悪い攻めにならざるを得ません。よく考えられた畝状の空堀です。
イラストでも案内されています。
お行儀良く整列してくれるわけですから、これほど有難いことはありません。時代は違いますが、敵兵をサイドから攻撃する横矢掛かりも高い効果が得られたはずです。布施城のように真上から一列縦隊の兵を撃つのも効果的ですね。
帯状に伸びる竪堀(たてぼり)。
一列縦隊を余儀なくされる攻撃側。これはまだるっこしいに違いありません。
葛城市歴史博物館。
相撲Wi-Fiという名の無料Wi-Fiがあるようです。
葛城市歴史博物館のエントランス付近。
足元のフロアには、葛城地方の航空写真が埋め込まれていました。
布施氏の氏寺こそが、葛城市寺口にある置恩寺です。
飛鳥時代に遣唐使の一員だった置始大伯(おきそめのおおく)。置始氏は物部氏族に属していたようで、中世になってから大和国衆・布施氏が置始姓を称したと伝えます。
畝状竪堀群(東側)の解説。
畝状空堀群(うねじょうからぼりぐん)とも呼ばれるもので、その形が畑の畝に似ていることから名づけられました。
布施城には、東西2か所の畝状竪堀群があります。東側の畝状竪堀群は、城域内で最も緩やかな尾根にあります。このため、最も侵入されやすい尾根先端の破壊と、尾根先に取り付く敵兵を阻止するために築かれたと考えられます。
「敵が一列になって狙いやすいぞ!」
攻め手を欠かざるを得ない工夫ですね。
専門用語に近いものを感じますが、これを機に「畝状竪堀群」を覚えておきましょう。