山添村の春日エリアに資料館があります。
資料館ですから博物館ほどではありませんが、縄文時代の考古学資料や村民寄託の民俗資料を見学することができます。小学校の講堂跡を活用しており、入館料は無料です。
山添村歴史民俗資料館。
右手の建物が、かつての小学校講堂です。昔ながらの木の温もりを感じる講堂で、朝礼なども行われたであろう壇上が残っています。向かって左側の建物に受付所があり、担当の方がいらっしゃいました。
学習机や大和茶道具!講堂跡で学ぶ縄文文化
山添村歴史民俗資料館の真ん前は山添小学校です。
現役の小学校で、元気な子供たちの声が聞こえてきます。運動場には天然芝が敷かれ、とても環境のいい学校でした。資料館の受付の方に伺いましたが、近い内に小中一貫校になるそうです。少子化の波はあちこちに押し寄せていますが、山添小学校も同じようです。
山添村を俯瞰する立体模型。
山深い山添村ですが、この模型を見れば一目で位置関係が把握できます。
資料館は波多野公民館も兼ねています。
この廊下の先に受付がありました。受付と言っても、かつての職員室のような雰囲気でした。そこから渡り廊下を通って資料館へと入ります。
山添村歴史民俗資料館の駐車場。
受付棟と山添小学校ですね。この日私は、牛頭天王を祀る神波多神社から南西へ車を走らせ、目的地の山添村歴史民俗資料館に到着しました。道路沿い左手に見えてきますので、比較的分かりやすいと思います。
鮮やかな黄緑色の小学校グラウンド。
運動場の左側が山添村歴史民俗資料館です。
その手前に無料駐車場があり、時折学校のチャイムの音が聞こえてきました。
講堂の屋根に目をやると、大棟の端っこに「鯱瓦(しゃちがわら)」が載っています。
妻には懸魚も見られますね。洒落た建築意匠に魅入りながら、奈良県指定文化財の外観を楽しみます。
五角形の池。
池の周りには花壇が並びます。おそらく季節には花が咲くのでしょう。
春日小学校旧講堂のすぐ右手に、現役の山添小学校の校舎が迫ります。
山添村歴史民俗資料館の展示品は、この講堂内に収蔵されていました。正面からは入れませんので、左の受付棟からお入り下さい。
県指定文化財の春日小学校旧講堂。
春日小学校旧校舎は、地域住民がその用材を持ち寄り、建設作業にあたるなど、村民の協力によって明示36年(1903)に竣工した由緒を持つ校舎です。
講堂を中心にして、その両側に教室棟が並べて建てられ、その後、昭和4年(1929)に教室棟の背後をつないでコの字型に回していましたが、校舎の老朽化に伴い旧講堂だけを残して順次建て替えられました。平成3年(1991)には保存修理工事を行い、ここに移築されました。
全体に和風を主体として装飾的な要素は少ないが、屋根は入母屋造り妻入りとし、大棟両端には瓦製鯱(しゃち)を飾り、玄関は正面に張り出して入母屋造り土間吹き放しとし、周囲に長押、欄間を廻らすなど、学校建築としては特異な手法を残しており、明治期に建築された和風を主調とした学校建築の中心建物として極めて重要です。
これは一体なんでしょうか。
受付所へ続く廊下。
その手前にも部屋がありました。
研修室。
この木札も昔のものでしょうか。飾らない“そのまんま”の空気を楽しみます。
資料館の中に入ります。
そんなに広くはありませんが、ここが明治時代の小学校講堂だったのかと思うと、自分が通ったわけでもないのに懐かしくなりました。はるか昔の記憶は、人を選ばず通底しているものなのかもしれませんね。
山添村歴史民俗資料館のテーマの一つは縄文時代です。
山添村の北西部には布目湖があります。
かつて布目川河岸段丘において、ダム建設に伴う発掘調査が行われました。その際、土器や石器が出土し、太古の人々の生活が明らかになったようです。和田遺跡(桐山)やウチカタビロ遺跡(北野)などは、縄文時代草創期の一級遺跡とされます。
茶摘みバサミですね。
この他にも、茶壷や茶摘み籠などが展示されていました。
山添村は大和茶栽培でも有名です。江戸時代末期にお茶の生産が広がり、明治に入ると茶園造成が進み、製茶技法も進歩の一途をたどったようです。
茶摘みばさみの説明文。
大正時代に実用化されました。初期のものは箱型の金網がつき、葉茶が入るようになっていましたが、その後、木綿の袋に変わりました。
講堂の壇上ですね。
なんだかリアルです。セピア色の映画の世界に迷い込んだようです(^O^)
春日小学校の校章。
この紋は下がり藤でしょうか。
ここに児童たちが整列し、校長先生の話に耳を傾けていたのです。
時は流れて令和の世になり、観光客を出迎える資料館へと変貌を遂げています。
館内にも展示されていましたが、山添村には国史跡の毛原廃寺跡があります。宇陀市に接する山添村南部の寺院跡で、金堂や南門の礎石が出土しています。
神野寺ゆかりの銅造菩薩半跏像。
飛鳥仏を思わせる出で立ちですね。
銅造菩薩半跏像(伏拝・神野寺蔵)
国指定重要文化財(明治42年9月22日指定)
胴体が極めて細かく作られているのは、朝鮮三国時代百済の小金銅仏の影響によるもので、日本では飛鳥時代後期の菩薩像に見られる表現様式です。現在は奈良国立博物館に寄託されています。
実際に使われていた学習机。
残っているんですね、こういうものが・・・手垢の付いた宝物です。小さな机ですが、立派な書見台が付いています。
硯を収納する窪み。
時代を感じさせる学習机です。当時はまだ、鉛筆が普及していなかったのかもしれません。
なんとも味わい深い資料館です。
縄文時代の出土品や民俗資料もさることながら、建物自体に価値があります。
山添村には未だに大手コンビニがありません。観光資源としては、春の桜がおすすめのようです。村のあちこちで綺麗な桜が楽しめます。これだけ自然が残っていれば、桜も圧巻なのでしょう。
縄文草創期に根を下ろす山添村の文化。
まずはこちらの資料館で下調べをしてから、村内各地を巡ってみるのもいいでしょう。