今出川通と堀川通の交差点近くにある白峯神宮。
蹴鞠の神社として知られる白峯神宮(しらみねじんぐう)をご案内致します。
白峯神宮。
今出川通に面して鳥居が建っていました。
蹴鞠絵馬と崇徳上皇の怨念
京都市上京区東飛鳥井町に鎮座する白峯神宮。
御祭神は崇徳天皇と淳仁天皇です。都を追われ、その先の配流地で没した両天皇を祀ります。悲運の最期を遂げた両天皇の慰霊こそが、白峯神宮のバックボーンなのですね。
蹴鞠の神社ということで、境内にはサッカーボールが奉納されていました。
Jリーグで活躍するプロサッカー選手たちも、ここ白峯神宮に参拝なさっているようです。
蹴鞠の碑。
蹴鞠の宗家である飛鳥井家(あすかいけ)の邸がこの辺りにあったと伝えられます。サッカーもそうですが、球技一般にご利益があるとされ、境内にはバスケットボールなども奉納されていました。
白峯神宮の絵馬にも蹴鞠が描かれています。
蹴鞠と言えば、大化の改新のきっかけにもなった中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)の蹴鞠を思い浮かべます。奈良の飛鳥寺が舞台になっていたわけですが、京都にも蹴鞠の聖地が存在していたんですね。
境内には「蹴鞠をする所」もありました。
実際にこのスペースで蹴鞠が行われているようです。
結構広い場所が取られています。
藤原鎌足を祀る奈良の談山神社に於いて催される蹴鞠会が頭をよぎります。長い歴史の中で大切に保存されてきた蹴鞠の慣習。ここ白峯神宮に於いても、同じようなイベントが行われているようです。
蹴鞠にばかり目を奪われがちですが、白峯神宮は崇徳天皇の怨念がこもる神社としても知られます。
政争に敗れ、配流された讃岐で軟禁生活を送った崇徳上皇。
讃岐の地で大乗経を写経し、京都の寺に納めてほしいと朝廷に差し出すも後白河法皇に冷たくあしらわれてしまいます。激怒した崇徳上皇は舌を噛み切り、その血で写経本に「日本国の大魔王となって復讐する」と書き込んだと伝えられます。
恐ろしいお話(笑)
時は流れ、明治天皇が即位に当たり、讃岐から崇徳上皇を祭神として白峯神宮に迎えることになります。つまり、それまでの700年間に渡って、崇徳上皇の怨霊は京都を祟り続けていたのです。
サッカーの神様の陰に隠れた、知られざるエピソードですね。