達磨寺1号墳!6世紀末の円墳

王寺町本町の達磨寺古墳群。

達磨寺古墳群は横穴式石室が開口する1号墳をはじめ、2号墳、3号墳の計3基から成ります。いずれも聖徳太子創建の達磨寺境内にあります。3号墳は本堂基壇として埋没していますが、その他の古墳は見学可能です。

達磨寺1号墳

達磨寺1号墳の開口部。

東に開口する両袖式の横穴式石室です。墳形は円墳で、墳丘上には地蔵堂が建ちます。達磨寺古墳群の中では、唯一石室インが可能な古墳でした。

王寺町の達磨寺!聖徳太子とダルマの絆
臨済宗南禅寺派の片岡山達磨寺。 聖徳太子遺跡霊場第十九番の達磨寺は、聖徳太子が築いた達磨塚霊跡に建立されたお寺です。聖徳太子と達磨大師の出会いの地ともされ、日本書紀や元亨釈書などに見られる片岡山飢人伝説が今に伝わります。龍田大社へお参りした...

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組合せ箱式石棺の一部が残存!雪丸の墓「犬塚」

達磨寺1号墳からは須恵器やガラス管玉が出土しています。

1号墳には興味深い伝承が残ります。王寺町マスコットキャラクターとして人気の“雪丸の墓”だとか、法隆寺まで続く穴だとか、色んなエピソードに彩られています。石室の中を見学すれば判りますが、決して法隆寺へ抜ける穴ではありません(笑)通常の横穴式石室と変わらず、玄室には奥壁があり行き止まりになっていました。

達磨寺1号墳の横穴式石室

奥壁を背に、開口部に振り返ります。

現存する石室はそう長くもなく、入室に恐怖感は伴いません。それもそのはず、開口部前を元気な園児たちが行き交います。達磨寺のすぐ隣りが保育園なんです。ある意味、素晴らしい環境に恵まれた古墳と言えるでしょう。

達磨寺本堂・達磨寺3号墳

達磨寺本堂。

本堂下に達磨塚と伝わる3号墳があります。

「片岡山飢人伝説」の達磨大師ですね。達磨寺の境内は、聖徳太子と達磨大師が縁を結んだ地です。本堂脇には問答石もありましたね。

太子が斑鳩から磯長谷(しながだに)へ向かう途中、飢えて倒れた男を見つけたそうです。太子は衣服を与えましたが、後日亡くなったことを聞かされます。そこで、墓を作って葬ったそうです。その数日後に、飢人の遺体は衣服を残して消え去ったと伝わります。その飢人こそが達磨大師であったとの説から、“達磨寺の縁起”として今に語り継がれています。

本堂内には、永享2年(1430)に椿井法眼集慶が彫ったという達磨坐像も祀られています。

達磨寺2号墳

こちらは達磨寺2号墳。

わずかに開口していますが、石室内には土砂が流れ込んでおり入室困難です。6世紀末の円墳で、1号墳のすぐ隣りにあります。

達磨寺1・2号墳の案内板

境内には3基の古墳があり、達磨寺古墳群と呼ばれている。いずれも6世紀末頃に築造された径15m程度の円墳であり、横穴式石室をもっている。1号墳の石室内には、組合せ箱式石棺の一部が残っており、須恵器や玉類、鉄鏃が出土した。

インバウンドの増加に伴い、きちんと英語案内もされています。

考古学で頻出する専門用語の翻訳が興味深いですね。須恵器が unglazed ware, 玉類が gems, 鉄鏃は iron arrowheads と訳されていました。

1号墳の横穴式石室、その左向こうが2号墳の墳丘です。

達磨寺の山号は「片岡山」で、宗派は臨済宗南禅寺派のようです。

1号墳(犬塚)の開口部から奥を覗きます。

小さい石材がたくさん積み上げられていますね。

天井石へ向け、やや“持ち送り”も見られるでしょうか。

組合せ箱式石棺の一部が残存しています。

細かい石がパズルのように積み重なります。

全長8mの石室で、奥まで光は届いていました。

パッと見は祭壇のようですが、おそらく石棺の残欠部なのでしょう。

埋葬施設の玄室も比較的明るく、スマホの照明無しでも確認することが出来ました。

巧みに組み合わさります。

左が1号墳で、右が2号墳。

ここは境内の北東隅に当たります。いわゆる鬼門ですね。

雪丸が身を挺して、達磨寺を守っているようにも映ります。本堂を中心に据えれば、対角線上の南西方向に雪丸像が建っています。ちょうど1号墳の方を向いており、表鬼門と裏鬼門の両方向からガッチリと固めていました。

達磨寺の駐車場。

国道沿い、西門の脇にある駐車場です。

境内には重要文化財の中興記石幢瓦製露盤も見られます。王寺町内で古墳巡りを楽しむなら、明神山の登山ルートにある畠田古墳がおすすめですね。

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