王寺町明神の畠田古墳を訪れました。
そもそも古墳の少ない王寺町ですが、7世紀初頭の立派な単独墳が明神山の南東尾根に築かれています。明神山登山の畠田古墳ルートで目にした人も多いでしょう。猪も出没する場所ですが、比較的アクセスの難易度は低い古墳だと思います。
王寺町の畠田古墳。
場所は王寺ニュータウン(美しヶ丘)のすぐ近くです。住宅街の奥に明神山頂へと通じる深い森がありました。墳形は終末期古墳に多い円墳で、周囲には外護列石が巡らされています。
自然石を積み上げた両袖式の横穴式石室
南に開口する横穴式石室です。
木棺を収める玄室内には、少なくとも2体以上が埋葬されていたようです。埋葬空間の奥壁には持ち送りが見られます。横穴式石室は竪穴と違い、追葬が可能です。奥壁や側壁には男神像(だんしんぞう)とおぼしき壁画が彫られています。これらの像も、おそらく後世のものでしょう。時代を経て、様々に利用されていたのでしょう。
羨道の天井石は失われているようです。
そのためか、石室内は明るく見学しやすかったです。
畠田古墳の行き方ですが、まずは国道168号沿いの尼寺廃寺跡が目印になります。
尼寺廃寺跡近くの王寺ニュータウン入口を西に入り、小黒・送迎線を登って行きます。しばらく坂道を進むと、右手に明神山の駐車場があります。駐車場に車を停め、徒歩でさらに坂道を上がると丁字路に突き当たります。スーパーヤオヒコや美しヶ丘集会所のある場所です。丁字路を左に曲がって進むと、右手に明神山参道の鳥居が見えてきました。
明神山登山口に建つ鳥居。
鳥居の前を通る道は王寺香芝線です。鳥居を右に見ながらさらに歩を進めると、また丁字路に突き当たりました。
このドン突きを右折して、畠田古墳を目指します。
只今、工事中のようですね。ここに新しい橋が架けられる予定です(2023年8月撮影)。畠田古墳の周りはどんどん開発が進んでいるようです。
猪出没注意の看板。
人の生活圏に下りて来るイノシシが問題になっていますが、この辺りも例外ではないようです。
史跡畠田古墳を案内する道標。
先ほどの鳥居から入る登山ルートもありますが、こちらの山道を選択することもできます。山頂までは1,900mと出ています。
ここですね。
左へ降りて行く道が、畠田古墳へのアクセスルートです。入口には杖も用意されていました。
切り立つ崖に民家が建ちます。
壁に描かれているのはカモメでしょうか。杖のある入口から3,4分歩けば古墳に到着します。
ありました、畠田古墳です。
尾根上に築かれた単独立地の円墳です。橿原市の新沢千塚古墳群のように“群集墳”の多い円墳ですが、畠田古墳は単独峰ならぬ単独墳です。金環などの副葬品が出土しており、被葬者はこの地域の権力者と目されます。
奈良県指定史跡の畠田古墳。
中国の風水思想に基づいて築造されたのではないかと解説されています。畠田古墳は渡来人の墓なのでしょうか。毎度のことですが、埋葬された人物の謎は深まるばかりですね。
アプローチの階段がいい雰囲気。
登山道の脇に、まるで舞台へ上がっていくようなアプローチが付いています。畠田古墳ならではの演出を感じます。
玄室の奥壁が見えています。
石室内は明るく、古墳見学にありがちな恐怖感はありません。やや傾斜の付いた構造は「持ち送り」ですね。
自然石を積み上げ、きれいに面が整えられています。
奥壁の一番大きい石に、何か描かれていますね。
築造当初は無かったものでしょう。
後の時代に刻まれた、落書きとも取れる不思議な造形。
人を象った壁画。
実は側壁側にも、もっとはっきりした“男神像”が彫られています。残念ながら今回は見落としてしまいました(;^_^A 後世に何かの祭祀が行われていたのでしょうか。
玄室の角部分。
大小様々な自然石が重なり、絶妙なバランスを保ちます。
光の届く横穴式石室は安心感があります。
訪れたのは真夏でしたが、季節を問わず楽しめる古墳だと思います。
墳丘上に登ることも出来ます。
円墳を体感する試みですね。是非皆さんも登ってみて下さい。
上から石室を見下ろします。
落っこちないよう足元にはご注意下さい。
香芝市にも近い場所です。
行政区域などというのは近代から現代にかけて形作られたものです。古代には関係ないですからね。畠田古墳の近くには、平野塚穴山古墳(香芝市)などがあります。古墳好きの方であれば、併せて見学するのもおすすめです。