安倍文殊院の南東方向に、谷首古墳(たにくびこふん)という方墳があります。
羨道部手前の天井石が右斜め下に落ちかけているのが特徴的な古墳。その外観からも見る者を惹き付ける魅力に溢れています。
奈良県桜井市阿部802に佇む谷首古墳。
築造年代は古墳時代後期から終末期にかけてとされます。古墳のスタイルから言っても、方墳は古墳時代後期に数多く見られます。ご多分に漏れずなのか、谷首古墳の形も方墳に分類されます。
被葬者は阿倍氏か?ゆったりサイズの石室
古墳が発見されるといつも話題になるのが、誰が葬られていたのかという問題です。
谷首古墳の被葬者は誰なのか?残念ながらその答えはまだ出ていません。阿部丘陵の中では最大規模を誇る古墳であり、阿部の鎮守神・八幡神社の社叢下に位置していることからも、阿倍氏の墳墓ではないかとも考えられます。先日訪れた艸墓古墳と同じタイプの両袖式横穴式石室ですが、その規模において艸墓古墳を凌駕しています。
ちなみに谷首古墳は、文殊院西古墳や艸墓古墳よりも前の時代の古墳とされます。
谷首古墳の玄室内。
羨道部は比較的光が差し込んでいたのですが、さすがに玄室の中に入ると辺りはよく見えません。失礼ながらフラッシュをたいて撮影させて頂きました。奥壁は巨大な石が二段積み重ねられています。側壁は三段積みのようです。
地面から天井へ向かって面積が狭まっているのが分かります。いわゆる持ち送り構造ですね。
基本的には巨石が積み重なっているのですが、所々に小さな石も巧みに利用されています。洗練された石組の技術が垣間見えます。
残念ながら石棺は残されていませんでした。谷首古墳の石室内には凝灰岩の破片が見られ、かつてはこの場所に家型石棺が納められていたのではないかと推測されます。これだけ大きな玄室に入ると、明日香村にある石舞台古墳の空間を思い出します。
玄室から外の方を見ます。
羨道部の先から光が差し込んでいます。この位置からも、傾いた入口の天井石が確認できますね。
史跡谷首古墳の解説パネル。
寺川の左岸、多武峰から北にのびる丘陵の北端、阿部丘陵の西辺に位置する。標高100m前後の地点にある方形墳で、谷汲古墳とも呼ばれている。墳丘の各辺は方位とほぼ一致し、規模は現状で、東西約35m、南北約38m、高さ約8.2mである。墳頂部には八幡神社の本殿と拝殿があり、墳丘西側は古墳築造当初の形状を保っていない。
埋葬施設は南に開口する両袖式の横穴式石室であるが、東側の袖が非常に短く、片袖式とも言い得る。石室の規模は玄室長約6m、幅約2.8m、高さ約4m、羨道長約7.8m、幅1.7m、高さ1.8mである。石室は花崗岩の巨石を用いて築かれており、奥壁二石、玄室天井石二石、羨道天井石は四石から成る。
石室内は礫が敷かれており、凝灰岩の細片も見つかっているので、石室内には石棺が納められていたようである。古墳の作られた年代は、石舞台古墳や赤坂天王山古墳との比較から6世紀末葉から7世紀初頭頃と推定されている。
東側の袖が短いと書かれています。言われてみれば、確かにそうなのかもしれません。
谷首古墳のアクセスと周辺情報
古墳探訪でいつも問題になるのが、そのアクセス方法です。
周辺に駐車場は有るのか、目印になる建物等は存在するのかといった問題です。端的に言うと、谷首古墳の場合は駐車場無し、目印になるものは八幡神社や大和桜井園特別養護老人ホームということになります。あるいはダイヤコスモの建物なども目印になると思われます。
谷首古墳は西へ300m、安倍寺跡700m、山田寺跡2.2㎞と案内されています。
道標の後ろを通る道路は、安部木材団地5号の交差点から東へ伸びる道です。私は今回、上之宮庭園遺跡方面から徒歩で谷首古墳を目指しました。近くにはメスリ山古墳やコロコロ山古墳などもありますが、南方へは行かず、西へと進路を取ります。
八幡神社の鳥居。
ダイヤコスモの建物が左手に見えた所で、右手の緩やかな坂道を上って行きます。そのままぐるっと右へ旋回して進んで行くと、八幡神社の境内へと続く石段が見えて参りました。後で分かったことなのですが、一つ手前の曲がり角を右へ上って行っても、同じく谷首古墳に辿り着きます。
阿部の八幡神社は毎年10月16日に例祭が催されるとのことで、その準備が進められているのかもしれませんね。石段手前から左へ伸びる道が見えますが、この道を進んで行くと大和桜井園特別養護老人ホームへアクセスします。道路の左手奥に見える一段高い場所は、大和桜井園特別養護老人ホームの駐車場です。
八幡神社の狛犬と拝殿。
石段を上がって境内へと入ります。実に静かな神域です。
八幡神社の拝殿。
御祭神は誉田別尊で、境内社として住吉神社、春日神社、水分神社(安倍神社)などが祀られています。長い年月の間、地域の人々に守られてきた歴史がうかがえます。
大和桜井園特別養護老人ホーム。
八幡神社の境内から、再び石段を下りて先ほどの道路へと出ます。右手に八幡神社の社叢を見ながら進んで行くと、行く手に老人ホームの建物が見えて参ります。
ここから門前を右手に少し下って行きます。ちょうど八幡神社の社叢をぐるりと一周する感じです。
緩やかな坂道が続きます。
ここを右に曲がると、いよいよ谷首古墳へと辿り着きます。
左手の社叢が八幡神社、右手の建物が大和桜井園特別養護老人ホームです。
この道の手前は住宅街になっています。立派な構えの家が並んでおり、周囲は文化的な香りすら感じさせます。
行く手の右側に解説板のようなものが見えます。
どうやらあの辺りが谷首古墳のようです。
ありました、ありました。
今日のお目当ての谷首古墳です。
ぽっかりと南向きに開口しています。
谷首古墳玄室は古墳時代のタイムカプセル
さぁ、いよいよこれから谷首古墳の石室の中へと入って行きます。
ちょっと前までは古墳の中へ入るなんて気持ち悪いと思っていましたが、最近は感覚が少し鈍って参りました(笑) 古墳時代前期の大型前方後円墳は基本的に立ち入ることが出来ません。箸墓古墳、景行天皇陵、崇神天皇陵等々は中に入って様子を伺うことは出来ないのです。その点、規模こそ小さいもののこの手の古墳は見学自由なのです。
桜井市の魅力ここにあり、という気がしないでもありません。
斜めに崩れかけている天井石。
いつ頃から傾いているのでしょうか。
聞くところによると、中世には墳丘が砦として利用されていたこともあったようです。何かと利便性が高かったのでしょう。ひょっとすると、この石室の中で作戦会議が行われていたのかもしれません(笑) そんな想像を掻き立ててくれる古墳です。
羨道の中から天井石を撮影。
この辺りは入口近くということもあり、明るい光が差し込んでいます。開口部の真ん前は住宅地です。
傾いた天井石のお蔭で、少し身をかがめて石室の中に入ることになります。この ”潜りこむ” 感じが探検気分を掻き立ててくれます。古墳は昔の人のお墓ですから、探検気分なんて言ったら失礼に当たるのかもしれませんが、何かぞくぞくするものを感じます。
羨道部にも小さな石がかませてありました。
この石が微妙なバランスを保っているのでしょうか。
羨道部は一石一段の構造です。
奥の玄室には暗闇が広がっています。
玄室の手前から開口部を振り返ります。
本能的なものなのでしょうか、振り返るとなぜか安心します(笑) 玄室に向かっている時は緊張と不安が押し寄せるのですが、明るい開口部を振り返るとホッとするのです。
羨道と玄室の境目に当たる玄門(げんもん)。
仏教の世界でも、玄妙な真理に入る門を玄門と言います。いよいよこれからが本番、といった感じ・・・谷首古墳の心臓部へと歩を進めます。
玄室の天井石を見上げます。
この天井石の上端が八幡神社の宮垣の中に露出していると言います。八幡神社の拝殿向かって右後方だと思われるのですが、今度訪れた時にでも確認してみようと思います。歴史を感じさせる黒光りした花崗岩が、玄室の中の私を見下ろしています。
玄室の側壁。
見事な巨石が巧みな技術によって積み上げられています。古墳時代後期からこのままの状態で居続けているのかと思うと、まさしくここはタイムカプセルです。
巨大な二つの天井石。
玄室の中は暗いため、目視では天井石の様子は分かりませんでした。写真に収めてみて初めて、その偉容を確認することができます。よく見てみると、玄室の天井石の間にも小さな石が挟まっていますね。
外に出て再び開口部を見ます。
周りには草木が生い茂っていました。見学に訪れたのは10月初旬でしたが、真夏にはもっと繁茂しているのかもしれません。
谷首古墳。
これはオススメの古墳です。
谷首古墳に関してはよく言われることですが、古墳見学の初心者でも安心して楽しむことができます。
深い山の中に分け入るわけでもなく、ごく普通に住宅街に存在しています。蛇やコウモリが出てくるわけでもありません。確かに初心者向けの古墳と言えるでしょう。
<谷首古墳の見学案内>
- 住所 :奈良県桜井市阿部802
- 駐車場 :無し
- アクセス:JR桜井駅より徒歩25分