和爾坐赤坂比古神社@天理市和爾町

古代豪族・和爾氏の足跡を辿る伝山の辺の道

山の辺の道と言っても、山の辺の道北コースからは西の外れに当たります。石上大塚古墳~白川ダム~古墳公園~弘仁寺~円照寺前バス停と辿るのが山の辺の道の北コースです。赤坂比古神社へ行くには、古墳公園から西へ向かい、櫟本高塚公園や和爾坐赤坂比古神社のある伝山の辺の道へアクセスします。

和爾坐赤坂比古神社の本殿

和爾坐赤坂比古神社の本殿。

檜皮葺春日造の社殿ですね。拝殿後方には三つの祠が並び、春日社と八幡社が並び建っていました。

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古墳上に鎮座!和爾氏の祖神を祀る神社

和爾坐赤坂比古神社は古墳の上に鎮座しています。

和爾氏の氏神を祀るという和爾下(わにした)神社も古墳の上に鎮まりますが、ちょうど同じような立地条件なんですね。赤坂比古神社の歴史は天平2年に遡り、古代大和王権の有力豪族であった和爾氏が祭祀したと伝わります。

和爾坐赤坂比古神社の鳥居

和爾坐赤坂比古神社の鳥居。

天理市和爾町は丘陵状の土地に集落を形成しています。
その頂上付近に祀られているのが和爾坐赤坂比古神社です。鳥居前には自動販売機が設置されており、近隣住民の生活の匂いが漂います。

和爾坐赤坂比古神社の参拝方法

拝殿に参拝方法が案内されていました。

一般的作法の二礼二拍手一礼のようですね。

和爾坐赤坂比古神社

社殿の裏には、小さな横穴式石室が開口しているようです。

塀に囲われた境内の外から確認してみましたが、残念ながらよく見えません。まぁ、この状況では仕方がないなと諦めます。

和爾坐赤坂比古神社への行き方

今回、私は櫟本高塚公園の駐車場に車を停めて和爾坐赤坂比古神社を目指しました。

ルート上には道標が幾つかありますので、さして迷うこともないでしょう。櫟本高塚公園からの距離は約800mです。坂道のアップダウンこそありますが、所要時間は10分余りだと思われます。

櫟本高塚公園駐車場

櫟本高塚公園の駐車場。

駐車料金は無料です。

公共交通機関をご利用の方は、JR櫟本駅で下車して下さい。駅からはかなり時間が掛かりますが、歩けないこともありません。ルートにもよりますが、高良神社(長寺遺跡)、楢神社、かぼちゃ薬師、鬼子母神社、和爾下神社などの名所を巡ることもできます。

和爾坐赤坂比古神社の道案内

駐車場から徒歩で向かいます。

道案内には400mと出ていますね。観光案内の冊子では800mと書かれていましたが、随分と隔たりが(笑) まぁ、公園内の始点をどこに定めるかで違ってくるのでしょう。

楢川の橋

しばらく歩いて来ると、右手に橋が見えてきました。

楢川に架かる橋です。

アクセスにおける注意点はこのポイントのみです。正解は「この橋を渡るべからず」です。

和爾坐赤坂比古神社の道標

橋の手前の田圃に道標が立っていました。

カメラをズームアップして撮影しています。

そう、この道標は道から少し離れた場所に立っています。分かりにくいので見落とさないようにしましょう。つまり、来た道をそのまま真っ直ぐ進めばいいのです。右折して橋を渡ってはいけません。

和爾坂下伝承地

和爾坂下(わにさかもと)伝承地の石碑。

矢印の方向へ進んで行きます。

和爾町集落

緩やかな上り坂が続きます。

いよいよ和爾町の集落へと入って行きます。

和爾町天奈会館

和爾町天奈会館。

ほぼ登り切ったポイントに建つ不思議な建物ですが、地域住民の集いの場でしょうか。

太神宮石燈籠

その右脇に太神宮石灯籠が建っていました。

伊勢講の文字も見えます。

地蔵堂

地蔵堂の中に祀られるお地蔵さん。

光背が欠けてしまっているのでしょうか、不思議な形をしています。

鈴の穴はハート形ですね。いわゆる「猪目(いのめ)」と言われる縁起物です。

太神宮石燈籠

燈籠には梯子状の階段が付いていました。

時々見かける ”添え物” ですが、何かこう燈籠の格がワンランクアップしたように見えますね。

櫟旅の道標

燈籠のすぐ傍にあった道標。

天理と奈良の方向を指し示しています。

ここを左折すれば、目的地の和爾坐赤坂比古神社へ辿り着きます。

櫟旅

櫟本エリアの旅ということで、「櫟旅(いちたび)」!ですね。

「めぐみ めぐる てんり」、櫟旅のキャッチフレーズなのかもしれません。文字の上のロゴが、漢字の「天」をイメージさせます。

櫟旅の道標から左手に目をやると、赤坂比古神社の瑞垣が視界に入ります。少し下ってまた上がると、右手に和爾坐赤坂比古神社の境内が広がっていました。

和爾坐赤坂比古神社

鳥居をくぐって、真正面から拝殿を見ます。

拝殿奥に朱色の鳥居が見えていますが、その奥が本殿です。

阿田賀田須命・和爾大明神を祀る古社

和爾坐赤坂比古神社の主祭神の名前を阿田賀田須命(あだかたすのみこと)と言います。

東大寺二月堂の神明帳には、「和爾大明神」と記載される神様です。

吾田片隅命(あたかたすみのみこと)という表記法もあるようですが、あまり聞き慣れない神様ですよね。いずれにせよ、和爾一族の祖神であることに違いはないようです。

和爾坐赤坂比古神社

本殿の背後は鬱蒼とした杜に覆われています。

なるほど、古墳の雰囲気を纏っています。

和爾坐赤坂比古神社の境内

境内の片隅に転がっていた石造物。

その用途は?

和爾公民館

拝殿の左手には和爾公民館がありました。

赤坂比古神社の境内は、普段から人の出入りが頻繁な場所のようです。

和爾町神輿納庫

和爾町神輿納庫。

拝殿右手前にシャッター付きの建物がありました。秋祭りの際にでもお神輿が担がれるのでしょうか。

和爾坐赤坂比古神社

格天井の拝殿舎から三柱を拝みます。

三つの社殿の大きさがそれぞれ違いますね。向かって左側の春日社の方が、右側の八幡社より一回り大きく造られています。

和爾公民館

和爾公民館。

この公民館の背後には善福寺というお寺があって、さらに道を進んで行くと、和爾坂下伝承地六地蔵へと通じています。赤坂比古神社のアクセス途上にも和爾坂下伝承地の道案内がありましたが、どんなお話が伝承されているのでしょうか。

日本書紀の神武天皇に関する記述を見ると、

和邇坂下に巨勢祝(こせのはふり)という者あり

とあります。これは神武東征にまつわる伝承で、神武天皇に従わなかった者のことが記されています。大和平定の際、逆賊として倒された巨勢祝という土豪が ”和邇坂下” に所在していたことを意味しています。

境内の手水。

龍の口から清水が出ていました。

私はまだ歩いたことがないのですが、和爾坐赤坂比古神社から伝・山の辺の道を北へ向かえば、田園風景の広がるサムライ街道を通って帯解黄金塚古墳へも通じているようです。