奈良県桜井市は木材の街として知られます。
その木材業界の守護神が、桜井駅から南へ徒歩15分ほどの場所に鎮まります。
神社の名前を石寸山口(いわれやまぐち)神社と言いますが、この「石寸」は古代地名・磐余の省画文字とされます。
石寸山口神社。
桜井市は芸能創生の地とも言われますが、その由縁地となる土舞台下手に鎮座している神社です。私はれっきとした桜井市民なのですが、今まで石寸山口神社の存在を知りませんでした。灯台下暗しとはまさにこのことを言います。観光関連の仕事に携わっている身としては、これはお恥ずかしい限りです。郷土の歴史を知るためにも、一度参拝しておこうと思い立ちました。
大山祇神を祀る大和六所山口神社の一社
大和には山口神社という名前の神社が幾つか見られます。
大和は「山処」「山都」に由来するとも言われるぐらい、山に深い関わりのある土地柄です。当ブログにおいても、既に耳成山麓に位置する山之坊山口神社をご紹介しています。山の入口に鎮まる山口神社には、山そのものへの崇拝が感じられます。
石寸山口神社の狛犬と拝殿。
概ね山口神社といえば、山を北に控えて南面している位置関係です。その点、石寸山口神社は趣を異にします。この神社の場合、神社から見て南方に菰池や菰山(磐余山)があります。阿倍山丘陵の北端に鎮座していることからも、その由緒が気になるところです。
御祭神は大山祇神で、山の神が祀られています。大山津見神(おおやまつみのかみ)とも書きますが、総本山は愛媛県今治市大三島町の大山祇神社とされる神様ですね。
ここが石寸山口神社のアクセスポイントです。
国道165号線の谷交差点の角に葬儀会館ホールがあります。そこを南へ入り、緩やかな坂道を上って行きます。しばらくすると、上の写真のアクセスポイントが見えて参ります。石寸山口神社の行き方はここを左に取ってしばらく進み、さらに左へ伸びる坂道を登ります。
ちなみにこのアクセスポイントを右へ向かえば、コスモスの名所・安倍文殊院に通じています。左へ取ってそのまま真っ直ぐ急な坂道を登って行けば、土舞台に辿り着きます。土舞台と安倍文殊院は石標に案内されていますが、知名度がイマイチなのか石寸山口神社は案内されていませんので注意が必要です。この場所から一番近いのは石寸山口神社なんですけどね。
ありました、ありました。
左手に見えてきたのが石寸山口神社の石鳥居と拝殿です。
鳥居左手に石寸山口神社の案内板がありました。
立派な大理石に刻まれています。
大山祇神は伊弉冉尊の生み給うた山の神にて、磐余の大地を守護せらる山の神・水の神として御祭祀になり、上古より朝野の崇敬厚く、中にも大和六山口神社の一社に数えられ、延喜式内の大社に列せられた。
近世以降、木材業界繁栄の守護神として、その崇敬を集めている。
石寸山口神社は由緒正しい延喜式内社のようですね。
磐余池辺雙槻宮の跡地
石寸山口神社は、用明天皇の磐余池辺雙槻宮(いわれいけべのなみつきのみや)の跡地であるとする説もあります。
「大和志」によれば、かつては双槻(なみつき)神社と呼ばれていたこともあるそうです。
石寸山口神社の南には菰池という小さな溜池があります。
石鳥居から道を挟んだ南方にフェンスで囲われた駐車場があり、その片隅に「御祓戸」と刻まれた石が建っています。おそらくこれは石寸山口神社の祓戸に当たるものではないかと思われます。
薦池組合の注意書きですね。
薦池(菰池)での魚釣りは禁止されているようです。
石寸山口神社は磐余エリアを守護する山の神・水の神だと言います。山があれば川があり、海があるのが自然の形です。水の神だとすると、菰池に湛えられた水にも神性が帯びてくるような気が致します。そんな池での魚釣りはご法度ですね。
石鳥居をくぐって石段を上ります。
小高い場所に御祭神の大山祇神を仰ぎます。
拝殿に掲げられる扁額。
それにしても、石寸(いわれ)と読むのには驚きました。
磐余(いわれ)も立派な難読地名ですが、桜井市民にとって磐余は慣れ親しんだ地名です。読み方に戸惑うこともないのですが、さすがに石寸は読めない方も多いのではないでしょうか。
磐余は桜井市南西部、橿原市にわたる一帯の古代地名です。
歴代天皇に関係の深い場所で、磐余若桜宮(神功天皇)、磐余稚桜宮(履中天皇)、磐余甕栗(みかぐり)宮(清寧天皇)、磐余玉穂宮(継体天皇)、磐余池辺雙槻宮(用明天皇)の所在地であったと伝えられます。
拝殿の中から本殿方向を望みます。
紅白の鈴緒には桜井木材協同組合の文字が見られます。
記紀万葉ゆかりの地として、大和さくらい100選にも選出されているようです。
桜井市のマスコットキャラクター・ひみこちゃんの案内で、木材の守護神と記されています。
拝殿向かって右横に、歴史を感じさせる木の根っこを発見。
どこかに荒々しい生命力を感じさせます。
こちらが石寸山口神社の本殿です。
春日造りの社殿ですね。玉垣に囲まれた背後には小さな杜が広がります。
榊が供えられています。
いわゆる結界の「境木(=榊)」を意味しているのではないでしょうか。
石寸山口神社の鳥居前を右へ向かい、道なりに進んで行きます。今来た道を振り返ると、石寸山口神社が鎮座する杜が視界に入ってきます。
右手には三輪山も見え、この辺りは展望の開ける場所となっています。
そのまま住宅地を抜けて歩を進めると、土舞台へ続く道へと入っていきます。
土舞台の道案内が出ていました。
桜井は地理的に見ても、結構アップダウンの激しい場所です。実は地名にその謎が隠されていて、桜井の「さ」は接頭語で、「くら」は「鞍(凹部)」を表しているようです。馬に騎乗する際に跨ぐ鞍をイメージすれば、なんとなくその地形も分かるような気が致します。
桜井の木材産業を支える神様を祀ります。
石寸山口神社は、木材業界の方々にとってはとても大切な神社です。安倍文殊院や土舞台、それに艸墓古墳なども徒歩圏内に位置しています。桜井市観光の穴場として、是非一度石寸山口神社を訪れてみられることをおすすめ致します。