桜井市の安倍山城跡

桜井公園として整備されている安倍山城跡。

かつての合戦を支えた山城で、小規模な曲輪跡を残します。すぐ近くには聖徳太子ゆかりの土舞台があります。JR桜井駅からも徒歩圏内ですので、散歩がてらウォーキングを楽しむのもいいでしょう。

安倍山城跡の桜

安倍山城跡の桜。

丘陵の頂上付近にありました。

安倍山城跡の周囲には安倍文殊院をはじめ、稚桜神社、艸墓古墳などの歴史スポットが集まります。

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北朝方陣営の桜!西阿の戒重城を攻めた山城址

お隣りの土舞台には綺麗な桜が咲きますが、安倍山城跡にも開花していました。

既に満開の時期は過ぎていましたが、十分に堪能することができました。

安倍山城跡の桜

安倍山城跡の桜。

古城址の桜というだけで、しんみりとした歴史風情が漂います。

遥か南北朝時代に、桜井市内が戦場となった歴史を知る人は少ないでしょう。ここ安倍山城跡には、北朝方の細川氏が陣を構えました。

安倍山城跡の解説

安倍山城跡の解説。

この付近が安倍山城の跡である。
暦応4年(1341)に、南朝方の西阿が篭る戒重城を攻めるため、北朝方の細川顕氏らが陣を構えたという。のち、永禄8年(1565)に、松永久秀が布陣したという。小規模な曲輪跡が残る。

この南側には、小字名土舞台から、聖徳太子が少年を集め、伎楽を伝習させた土舞台跡とみなし、顕彰碑を建て、桜井公園として整備している。

後醍醐天皇の南朝に味方したという桜井の大和武士・西阿(さいあ)

西阿は”朝倉富士”と称される外鎌山にも城を築いていたようで、外鎌山には西阿の墓があります。外鎌山の西阿墓碑の案内板には、こう記されています。

【外鎌山の西阿墓碑】

南北朝時代(1336~1392)桜井には「西阿(さいあ)」という大和武士がいた。

彼は後醍醐天皇の南朝方に味方した。「三輪西阿」「開住西阿」「那良西阿」「西阿法師」などの名がある。この石碑は、法華日蓮宗の有志門徒によって昭和45(1970)年に建てられたもので、西阿公の墓と刻まれている。

外鎌城(戸賀間城)

西阿が築いた六城の中の最も東に位置し、標高292.4mの頂上に築かれ、奈良県道跡地図には外鎌山城として記載がある。

三輪西阿、開住西阿の呼称もあったようですね。

開住とは、つまり戒重のことでしょう。桜井市民には馴染みの地名ですが、この辺りで戦いが繰り広げられていたことを初めて知りました。

土舞台と安倍山城跡の間の桜

土舞台から安倍山城跡へと続く道。

八重桜の木はほぼ満開でした。

桜井公園の丘陵頂付近には、横穴式石室を持つ古墳が幾つか存在していたようです。公園整備により、その形状を留めてはいませんが、稲荷山西古墳、稲荷山東古墳、桜井公園第二号墳などが知られています。

鳥見山

鳥見山を望みます。

山麓には神武天皇ゆかりの等彌神社があります。

鳥見山山頂付近にも、戒重西阿が築いた鳥見山城がありました。豊臣秀吉と明智光秀の天王山などもそうですが、低い山々の頂は陣営を敷くにはうってつけだったのでしょう。

古戦場に咲く桜は、その儚さゆえに色んな想いが去来します。