石上神宮のお火焚祭(おひたきさい)を見学して参りました。
お火焚祭はこの一年間に納められた願掛け絵馬、並びに願い事を書いた祈願串を焚き上げる恒例行事です。毎年12月8日の午後2時より石上神宮境内で催されるイベントとして知られます。まだわずかに紅葉の残る境内に、今年も勢いよく炎が立ち上がりました。
参拝受付所の前に準備された火床。
境内中央の四隅に竹を立て、その結界を囲うように注連縄が張られます。清浄空間の真ん中には井桁に組まれた火床が置かれていました。祭の前の静けさに身の引き締まる思いがします。
大祓詞・十種祓詞奏上と共に焚き上げられる願串
火には浄化のチカラが宿ります。
火には近寄り難いパワーが備わっています。存在そのものが畏れ多く、古代人たちが一目置いていたのも分かるような気が致します。
奈良朝以前に遡れば、神宮号の尊称が使われたのは全国で伊勢神宮と石上神宮二社のみとされます。その由緒の尊厳は、今も境内の各所に見ることができます。神剣を奉斎する石上神宮には古代武器庫のイメージがつきまといます。垂仁天皇の皇子が納めた剣千口など、石上神宮には武器類の献納も数多く見られます。
願串を火床に投げ入れる神職。
煙と炎が勢いよく立ち上がり、その熱が周りの参拝客にも届きます。
祭事は14時から行われますが、私が石上神宮に到着したのは13時過ぎでした。
緊張感が漂う祭事前の境内風景をカメラに収めます。
参集殿前の木が黄葉していました。
この一年間に納められた願串が燃やされるお祭り。神社の古いお札は燃やされる運命にあるわけですが、燃やされてゼロに返るわけではありません。また気持ちも新たに、新たな一年が始まるのです。常若の精神とよく言いますが、常に新たに蘇りながら未来へと向かって行くのです。そこにマイナスの発想はありません。
石上神宮の鶏が火床の前を横切ります。
祭典を前にして、神鶏たちも境内の雰囲気が普段と違うことを察しているのか、落ち着かない様子で右往左往しています(笑) あちこちから頻繁に鳴き声も響き渡ります。
参集殿前に白い布が掛けられていました。
机上の布の中には、火焚き祭で燃やされる願串がスタンバイしています。
修祓の祓所(はらいしょ)にも鶏が集います。
ここは白い小石が敷き詰められた一段高い場所です。普段は決して立ち入ってはならない場所ですが、神鶏たちには関係が無いようですね(笑)
火床の向こうに見えているのは参拝者休憩所です。
明治初期まで石上神宮には本殿がありませんでした。
国宝拝殿の正面に禁足地があり、磐座を設けて神籬が立てられていました。石玉垣で囲まれたその場所は高庭の地と呼ばれます。禁足地後方に本殿が建立されたのは大正2年(1913)のことです。本殿は意外と歴史が浅いんですね。
火を使う祭事だけに、安全を考慮して消火ホースが準備されていました。
神器を揺り動かして人間の魂振りを行う石上神宮ですが、ゆらゆらと揺れる炎を見ていると、こちらの魂も揺り動かされているような錯覚に陥ります。
祭事の午後2時前になると、参集殿前にご神職の方々が整列なさっていました。
巫女さんの姿も見られ、軽く禊をした後、いよいよ拝殿へと向かわれるようです。
何かの合図とともに、数名のご神職が一列になって拝殿へと向かわれます。
いよいよ動き出すお火焚き祭。
私も後を追って、楼門をくぐり拝殿前へと足を運びました。拝殿に昇殿して祭事に参加される方も多くいらっしゃいましたが、私は拝殿前の斎庭で祭事を見守ることに致しました。ここからがちょっぴり長いんですよね(笑)、神剣渡御祭のでんでん祭に参加した時もそうでしたが、拝殿の中で執り行われる神事に少し時間がかかります。祭りの肝に当たる部分ですから当然と言えば当然なのですが、少し退屈を感じてしまうのも正直な感想です。
拝殿前に置かれていた願串。
願串の初穂料は300円のようです。これがお火焚き祭で燃やされる願串だと思われます。
拝殿神事で鑚り出される斎火
拝殿の中の神事が粛々と進められます。
そうこうしている間にも、新たな参拝客が入れ替わり立ち替わり楼門をくぐって拝殿前へと進み出ます。
30分ぐらい経過したでしょうか。
いよいよ神事が終わり、神事で鑚り出された斎火が運び出されます。
十六菊花紋がデザインされた賽銭箱の横を通り、国宝拝殿からご神職が出て来られました。
重要文化財の楼門を抜けて、火床の準備された場所へと向かいます。
楼門向こうに見えている石段は、国宝の出雲建雄神社割拝殿へと続く階段ですね。
国宝が幾つか存在する石上神宮ですが、多数の宝物が収められていることでも知られます。七支刀(国宝)、鉄楯二枚、禁足地出土品、須恵器、太刀など枚挙にいとまがありません。
大切な斎火です。
消えないように持ち出されます。
斎火の後にご神職が続きます。
私を含め、参拝客もぞろぞろと後に続きます。
火床の周りに張られた結界の外側をぐるりと回り込みます。
空はよく晴れ渡り、風もほとんど吹いていません。お火焚祭には願ってもない天候ではないでしょうか。12月8日ということで、雨の降る日も少ないものと思われますが、もし大雨でも降ろうものなら祭事は決行されるのでしょうか。やむなく雨天順延となるのでしょうか?途絶えてはならない神事でしょうから日にちを変えることもなく雨天決行されるのかもしれませんね。
やはり石上神宮の境内にはよく似合います。
樹上で眠ると言われる石上神宮の鶏。決して落ちることのない神鶏ということで、祈願絵馬のモチーフにもなっています。”落ちない”に掛けて、合格祈願や高所作業に携わる方々の守り神にもなっています。
いよいよ着火です。
その前にお祓いが行われます。気のせいでしょうか、火床の下の部分が白く光っていますね。何か神々しいものを感じます。
着火を前に待機する斎火。
竹の先が裂かれ、そこに火が付いているのが分かります。
やはり気のせいではなかったようです。
確かに火床の下が光っています。既に種火のようなものが入っているのかもしれません。
さぁ、着火のシーンです。
背後から裾を手繰り上げておられるのでしょうか。
探っておられるご様子です。
少し白い煙が出てきましたね。
もくもくと煙が出て参りました。
どうやら着火成功のようです。
もくもくと煙が立ち上ります。
いや~、迫力があります!
すごい勢いで白くて黒い煙が立ち上がります。
ご利益に授かるためか、参拝客の中には手で頭上に煙を集めておられる方もお見受け致しました。神様の火から熾された煙です。浴びることによって何かいいことがありそうな気もします。
白い煙の後に、赤い炎が上がり始めました。
パチパチと音を立てながら、激しく燃え上がります。
すごい迫力です。
もうもうと煙が立ち込め、その深部には赤い炎が見えています。結界を張る注連縄と紙垂も、いずれは燃え尽きてしまうのかもしれません。
いよいよ願串の投入です。
ご神職がポーンと熱い火床に投げ入れます。次から次へと複数のご神職たちが願串を投げ入れます。そのたびに、音を立てて燃え上がる願串・・・。
火を見つめているだけで、何かこう、心が洗われるような気がして参ります。
火には蘇生のパワーが宿るのでしょうね。
立ち上る炎の先。
炎の元の意味は、火の穂(ほのほ)だと言います。稲穂の「穂」も稲の先を意味していますが、炎とて同じことなのですね。ものの先っぽや優れていることを古代人たちは「ほ」と表現しました。大和のことを「国のまほろば」と言いますが、まほろばの「ほ」も優れていることを意味する「秀(ほ)」に由来しています。
メラメラと揺らめき立つ炎の先を見つめながら、神事に酔い痴れます。
炎を前にして大祓詞・十種祓詞が奏上されます。
延々と詠みあげられる祓の言葉に合わせるように、炎が師走の空へと舞い上がります。
手を合わせてご神職の祓詞に続きます。
密教の護摩焚きにも似た迫力を感じます。
火の勢いが弱まれば、すかさず新たな願串が投げ入れられます。
火の勢いを弱めぬよう、矢継ぎ早に投入されていきます。
角度を変えて火焚き祭の様子を捉えます。
参拝客の見守る中、ご神職が忙しく立ち回ります。
整列したご神職の祓詞が延々と奏上されます。
境内に響き渡る声が、より一層火の勢いを強めているような気がします。
神様に一年のご加護を感謝します。
そして、来る一年の幸福を祈るお火焚祭。祭事の前には肌寒さも感じましたが、神様の火を全身に感じながら体の芯まで温まりました。身体が温まると同時に、心の奥底からも新たなエネルギーが湧いてくるのを感じました。
茅の輪をくぐって穢れを祓うのもいいですが、こうやって斎火の炎を全身に浴びながら蘇生していくのもいいですよね。
茅の輪神事とはまた違った雰囲気の中で執り行われる祭事に、しばらくの間身を委ねます。
まだまだ火の勢いは収まりません。
結構長い間燃えています。
さすがに祓所に居た鶏たちも退散です。
炎の上がっている間は、辺りに鶏の気配も感じられませんでした。あれだけけたたましく鳴いていた鶏たちも、炎の熱気には気圧されてしまったのでしょうか(笑) しかし、これだけ燃えても井桁は崩れることがないんですね。
祭りの最終盤になると、参列者も願串を火床に投げ入れることができます。
火の番をされている方が火床の周りを歩きます。
法被の背中には、石上神宮の御神紋である上がり藤がデザインされていますね。
祭事が無事に終了しました。
ご神職一同が退出された後も、お火焚祭の火は燃え続けていました。
よく見ると、参拝受付所の窓に燃え盛る火が映っています。窓に映る火はとても印象に残ります。神様の火は、私が石上神宮を後にする時もまだ燃え続けていました。
今年も一年、どうもありがとうございました。そして来たる年も、家族共々幸せに暮らせますように。