古語の世界に「潦(にはたづみ)」という言葉があります。
にわたずみとは一体何を意味しているのでしょうか。
雨上がりの庭に見られる潦(にわたずみ)。
塗装された道路の行き交う現代社会では、あまり見られなくなったのが潦(にわたずみ)ではないでしょうか。
雨が降った後に、突然出現する水たまりのことをにわたずみと言うわけですが、万葉集の中では枕詞としても使われ、流れ出るイメージのためか「流る」「すまぬ」「行方しらぬ」などに掛かります。
にはたづみ 流るる涙 とめぞかねつる
にわたずみの語源には諸説あって、「俄(にわ)か水」あるいは「庭立水(にわたつみず)」などがささやかれています。
俄かに「タヅ」は夕立の「タチ」で、「ミ」は水の意味とする説もあります。平安時代には、「庭只海」と理解されていたようで、水たまりからさらに雨が流れ出して、辺り一面水浸しになっている庭の様子が想像されます。
潦が描写される蘇我入鹿暗殺シーン
大化の改新で知られる蘇我入鹿の暗殺場面。
多武峯縁起絵巻に描かれる入鹿暗殺シーンをご存知の方も多いでしょう。
誅殺された入鹿の亡骸は打ち捨てられ、折しもの雨の中で、辺りには「潦(にはたづみ)、庭に溢(いは)めり」(日本書紀)と記されています。亡骸を囲むように、あちこちに出現する水たまり。政変と激しい雨が相まって、入鹿の悲劇が助長されていきます。
飛鳥寺西方に佇む入鹿の首塚。
連坐を恐れてか、誰も入鹿の屍に近付かなかったと云われます。五月雨によって生み出されたにわたずみが、もう流れることのない入鹿の涙を象徴しているかのようです。
大正楼中庭の飛び石とにわたずみ。
言葉の響きに懐かしい感じを覚えるのは私だけでしょうか。近所を思い浮かべてみれば、にわたずみを見ることができるのは、近くの公園と大神神社参道の一部ぐらいかもしれません。そのぐらいに、どこもかしこも舗装された現代社会が浮かび上がります。
中庭のつくばい。
真夏に雨の降らない日が続くと、つくばいから柄杓で水を取って庭に播きます。草木が枯れないように水をやるわけですが、にわたずみとは真逆の展開ですね(笑)
にわたずみの水面には辺りの風景が映し出されます。
古代の人は鏡に神性を感じました。そういう観点からすれば、庭に突然出現するにわたずみにも、神秘的な何かを感じ取っていたのかもしれませんね。