川原寺跡の北西に鎮座する板蓋(いたぶき)神社。
境内の石燈籠竿には「八幡宮」と刻み、御祭神には応神天皇、仲哀天皇、神功皇后が名を連ねます。「板蓋」という名前から、飛鳥板蓋宮との関連が浮かび上がります。
板蓋神社の本殿。
川原寺の北西には裏山があり、以前から神社が祀られていることは知っていました。かなり急な石段を登って行くため、訪れる機会は稀です。この辺りは川原寺裏山遺跡に当り、境内の脇から千数百点にも及ぶ塑像や甎(せん)仏破片が発見されています。
石段から望む川原寺跡、橘寺の風景
丘陵上にある板蓋神社。
その境内は小さく、特筆すべきものはありません。石段の途中で振り返ると、川原寺(弘福寺)や橘寺の堂宇を眺めることができます。境内には本殿の他、拝殿や石造りの境内社がありました。
板蓋神社へ上がって行く石段。
かなりの傾斜角で、真ん中に手摺りが付いていました。階段の右手には坂道もあり、少し急ではありますが登って行くことができます。
石鳥居の手前で振り返ります。
手前に川原寺跡、向こうに橘寺を望みます。橘寺南方の仏頭山もよく見渡せますね。この景色を見るだけでも、板蓋神社にお参りする価値はありそうです。
本殿前に浪花狛犬と石灯籠を配します。
拝殿からさらに一段高い所に本殿が祀られていました。
燈籠の竿には「八幡宮」と刻まれています。
おそらく八幡神を祀るようになったのは後世のことでしょう。
飛鳥板蓋宮は皇極・斉明天皇が即位した宮です。乙巳の変の舞台となった場所で、蘇我入鹿の首は遥か飛鳥寺の西方まで飛んで行ったと伝えられます。
談山神社の多武峯縁起絵巻に描かれた絵を見ると、当時の様子が蘇ります。大きな時代の転換点となり、以降の日本史の起点にもなりました。まさしくクーデターですね。
入鹿の首塚。
首塚の東に飛鳥寺、西には甘樫丘が広がります。
大化の改新から10年後に重祚した斉明天皇ですが、その年の末に板蓋宮は火災に遭います。そのため、斉明天皇はお宮を川原宮へ遷したようです。
浪花狛犬の勇ましい表情。
向こうに見えている建物は山車庫ですね。
本殿左脇に祀られる境内社。
板蓋神社の境内社を調べてみると、宗像神社(市杵嶋比賣命)、龍神社(豊玉比賣命)、八阪神社(素盞嗚尊)があるようです。この祠はどの神様に当たるのでしょうか。
川原寺跡の東には龍神社が祀られており、板蓋神社の摂社とされます。
板蓋神社の境内。
ひっそりと静まり返る境内に人影は見当たりません。
参拝の帰り道。
ここが斉明天皇ゆかりの地であることに間違いはなさそうです。
古代史の舞台に度々登場する女帝の足跡をまた一つ見つけたような気がします。