提灯に釣鐘とは、ちょっと見ただけでは形がよく似ていても、内容はまるで釣り合わないものを意味しています。
提灯(ちょうちん)に釣鐘(つりがね)の反意語として、五十歩百歩が挙げられます。
東大寺の鐘と馬酔木の花。
東大寺大仏殿から東へ上がって行った所に、巨大な鐘が吊り下げられています。
不釣り合いな男女の仲
提灯に釣鐘という言葉は、不釣り合いな男女の仲を言い表す時にも使われます。
軽い提灯に対して、重い釣鐘。身分や価値観の違う二人が結ばれると、提灯に釣鐘、あるいは月とスッポンと表現されることもありました。
なら燈花会の提灯。
昔は身分の違いによって、好き合っている二人が結ばれることなく、悲しい思いに沈んだものでした。
「及ばぬ鯉の滝登り」という言葉も残されています。今となっては死語になりつつあるのかもしれませんが、提灯に釣鐘という言葉にも、昔の若者たちのやり切れぬ思いが伝わって参ります。
東大寺大仏殿の中。
鐘つながりで、先日拝読していた上野誠氏の「はじめて楽しむ万葉集」から抜粋させて頂きます。
皆人(みなひと)を 寝よとの鐘は 打つなれど 君をし思へば 寝(い)ねかてぬかも
奈良時代の都では、陰陽(おんみょう)寮という役所が時刻の制度を司っていました。鐘を打つことによって、就寝時間を知らせていたと伝えられます。「寝よとの鐘」は午後7時から8時頃に打たれていたのではないかと思われます。
恋する人(大伴家持)を想い、眠れぬ夜を過ごす笠女郎(かさのいらつめ)の心情が見事に描写されています。
「寝よとの鐘」の音色が、笠女郎の心にずっしりと重くのしかかります。提灯に釣鐘を二人の関係に例えるなら、釣鐘が大伴家持で、提灯が笠女郎に当たるのではないでしょうか。身分が低かったと類推される笠女郎。軽い提灯である自分を、重い釣鐘の大伴家持に重ね合わせます。
恋の語源の記事にも書きましたが、人への想いは「重い」に通じています。
灯りのイベントであるなら燈花会。
提灯に灯された明かりと笠女郎の恋心がリンクします。