東大寺本坊大広間で開催中のイベント。
火難に遭ったお経が独特の風合いを生み出し、練行衆と共に幾歳月を重ねた丸盆の模様が古美術の域に達していました。これは東大寺の歴史を振り返るいい機会です!
東大寺本坊前の立看板。
小泉淳作画伯の襖絵「蓮池」と、日の丸盆こと二月堂練行衆盤。
特別陳列の画伯の絵は全12面にも及び、華厳宗の東大寺らしく華やかな色彩で彩られています。目を凝らすと、蓮の葉の真ん中に近い部分は緑色が濃いんですね。襖絵の前に並べられた日の丸盆はお盆のチャンピオンとも言われる逸品です。
唯一無二の根来塗文様!国宝本坊経庫も見所
二月堂の練行衆が、毎日食堂(じきどう)で食事の際に使用した日の丸盆。
ケヤキの木で作られているようで、黒漆で下塗りした上に朱漆が塗られています。
根来塗(ねごろぬり)と呼ばれる技法で、年月と共に上塗りの朱色が剥げ落ち、下塗りである黒色の塗り肌が見えてきます。一枚一枚趣の異なるその文様は見ていて飽きることがありません。
東大寺本坊の門。
金剛力士像の立つ南大門を入ってすぐ右手にあります。
華厳宗宗務所、写経道場の木札が掲げられていました。門番の方にお伺いして知ったのですが、只今本坊前の東大寺ミュージアムは改装中とのこと・・・その穴埋めのためか、東大寺本坊大広間に於いて今夏多くのイベントが企画されています。
本坊大広間の縁側。
蔀戸が上がり、目の前には蓮池が広がっていました。
建物内の写真撮影は禁止です。
縁側から望む風景もなかなか素敵でした。若草山を借景とし、初めて見る天皇殿の屋根も新鮮に映ります。
東大寺境内の五百立神社。
今回のイベントの宣伝ビラをかざします。
日の丸盆の下に案内されているのは、風合い豊かな二月堂焼経(やけぎょう)です。
日の丸盆の真ん中辺りに目を向けると、漢数字が振られているのが分かりますね。私が訪れた日は7枚の日の丸盆が展示されていました。『古美術からみる東大寺の美』の展示期間は全15日間で、最初の一週間は9枚の日の丸盆が並んでいたようです。
本坊手前にはテントが張られていました。
特別展の拝観料は1,000円です。
結構なお値段ですが、本坊大広間の中を見学できるまたとない機会です。迷わず拝観を選択!
赤と黒が重なる思い思いの文様。
一つとして同じデザインはありません。積年の過程で醸される文様で、意図されたものでないところがポイントですね。
奈良の春を告げるお水取り。
修二会の舞台である東大寺二月堂は、その眺望の良さでも知られます。十一面観音に悔過(けか)するその行法は、1,260余年もの間一度の中断もなく続けられています。今回展示されている日の丸盆には、1298年(永仁6)の銘があります。言わずと知れた ”歴史モノ” ですね。
毎年一定期間等しく使用した結果、一枚一枚違った趣を醸すことになります。器の擦れ具合、練行衆の性格をはじめ、様々な不確定要素が絡み合い、気の遠くなるような時間をかけてオンリーワンの美が形成されるに至りました。
大広間で日の丸盆を見た時、私はてっきり絵が描かれているんだと思いました。その絵が時間の経過と共に剥げ、不鮮明になっているのだと(笑) ところが、それは勘違いでした。伝統的技法である根来塗の為せる業だったのです。
本坊の門を入ると、右手に大広間の入口(拝観受付)が見えてきます。
左手の建物には煙出しが付いていますが、中には厨房があるようです。
拝観受付右側の写経道場。
東大寺の写経道場!生まれて初めてその建物の前に立っています。
大広間の入口。
下駄箱と傘立てが設置されていました。
大広間玄関口の蟇股。
規律正しい格天井ですね。
大広間縁側の南方に建つ東大寺本坊経庫。
東大寺創建当時の国宝建築です。
創建時には大仏殿裏手にあったようです。元は大仏殿を灯す燃料貯蔵の油倉でしたが、江戸時代に今の場所に移築されてからは経庫としての役割を果たしています。
校倉造ですね。
南大門のすぐ傍にこんな国宝建築物が存在していたとは、今まで知る由もありませんでした。
南大門を入って中門へ至る参道東側は、かつて東南院と呼ばれた東大寺子院の一角でした。特別展でもない限り、このエリアに立ち入ることは普段ありません。本坊経庫を目の当たりにしただけでも、十分に価値のある一日でした。
天皇殿に玉座、理源大師聖宝ゆかりの金剛蔵王権現像
本坊大広間の建物内は写真撮影が禁止されています。
そのため、縁側からの眺めにも時間を割きました。
経庫の他にも聖武天皇を祀る天皇殿の屋根を見学することが出来ました。
大広間の外に連なる縁側。
新緑の季節で、濃い庭の緑が印象的です。
蓮池の向こうに見えている建物が天皇殿です。
東大寺創建に尽力した聖武天皇を祀ります。
勿論、天皇殿を目にするのも初めてです。あ~来て良かったと思える瞬間でした。時計の針は既に昼過ぎを指し、残念ながら蓮池の花は開いていませんでした。
東側にも幾つかの建物が連なります。
庭に降り立つことは許されず、縁側で足止めを喰らいます。
大広間東の縁側。
一口に東大寺と言っても広いですね、改めてその寺域の広さを知りました。
俊乗堂や行基堂のある鐘楼ヶ丘、良弁椿の咲く開山堂、四天王像を安置する戒壇院と枚挙にいとまがありません。そして今回の本坊大広間の拝観と続きます。
東の彼方に若草山の山肌を望みます。
見事な借景ですね。
縁側の角。
これは矢羽根文様ですね。
お土産物屋さんで矢羽根文様がレーザープリントされた箸を見かけましたが、縁結び祈願の杉箸として売られていました。やはり矢を射る愛のキューピットがイメージされているのでしょうか。
その先に天皇殿。
天平勝宝8年(756)に崩御した聖武天皇。
齢は56を数えていたと言います。聖武天皇祭では、午前8時から11時30分頃まで天皇殿で論議法要が執り行われます。
縁側を北へ伝って行きます。
左奥の障子が開いていますが、あそこが大広間の上壇の間に当たります。床の間があってお面が展示されていました。廊下の突き当りに屏風が見えますね・・・あの屏風の奥左手が玉座です。係の方にもお伺いしましたが、さすがに玉座を見たことはないとのことでした。特別公開の機会も用意されていないのかもしれません。
拝観受付向かって左手の建物。
立派な懸魚が妻に下がっています。
東大寺中門とリーフレット。
修学旅行生の姿も数多く見られました。
金剛蔵王権現像。
東大寺本坊は、平安時代に理源大師聖宝によって開かれた東南院のあった場所とされます。
聖宝は弘法大師の実弟、真雅僧正の弟子で醍醐寺を開いた名僧です。修験者として大峯中興の祖としても知られます。その後、東南院は再建焼失を繰り返し、明治期には天皇の行在所となりました。
明治天皇奈良行在所の石標。
南大門を抜けると、すぐ右手に立っています。
その手前東方に目を向けます。
これが勅使門でしょうか。この門の奥に天皇殿が控えているものと思われます。毎年5月2日の聖武天皇祭では、天皇殿を屋外から拝観できるようです。
東大寺南大門。
大仏様六手先(むてさき)の組物が見る者を圧倒します。
南大門前の鹿。
拝観当日は気温35度にも迫ろうかという真夏日でした。
木陰で休む鹿も、ぐったりと疲れた様子です。
今回の特別展示では、焼けたお経にも感動しました。辛うじて焼失を免れ、焼けた跡の残るお経は痛々しくもあり、それがまた得も言われぬ味を醸し出しています。災難の中に光明を見出すというか、一巻一巻違った風合いを見ていると、”奥行きのある美” を感じずにはいられませんでした。