奈良県桜井市穴師にある前方後円墳3基から成る珠城山古墳群。
珠城山(たまきやま)古墳郡の南に箸墓古墳、そして北には景行天皇陵が控えています。1号墳と2号墳は造成当時の姿を今に留めていますが、3号墳の大部分は既に消滅してしまっているようです。
珠城山古墳群の場所は国道169号線から東へ、相撲神社や穴師坐兵主神社に向かう途上に当たります。古道ハイキングで知られる山の辺の道からは少し西側に当たります。山の辺の道からもそんなに離れていませんので、ウォーキングついでに立ち寄ってみてもいいですね。
珠城山1号墳の石室。
石室見学は珠城山古墳群最大の見所です。珠城山1号墳の横穴式石室が南に開口しているのです。珠城山3号墳にも前方部と後円部に横穴式石室があったようなのですが、残念ながら今は消滅してしまっています。
細かい石積で造成された6世紀中頃の横穴式石室
珠城山1号墳は比較的古い横穴式石室だと言われます。
その理由は石積の段数を見れば分かります。横穴式石室を作るに当たって、自然石に近い小さい石を巧みに積み上げたタイプの石室は時代的にも古い範疇に入ります。それに反し、加工された大きな石を少ない段数で組んでいるのが新しい石室ということになります。
国指定史跡の珠城山古墳群。
案内地図を見ると、東西に前方後円墳が三基並んでいます。
向かって右から1号墳、2号墳、3号墳の順です。真ん中の2号墳だけがひときわ大きく、その向きも反対を向いているのが分かります。1号墳と3号墳はそれぞれ前方部を東に向けていますが、2号墳だけは前方部が西を向いていますね。
墳丘が連続して築かれているため、1号墳から2号墳、2号墳から3号墳へと移動することも可能です。築造年代は2号墳、1号墳、3号墳の順番になっているようです。
珠城山古墳群の周辺地図。
上手には相撲発祥の地とされる相撲神社が鎮座しています。山の辺の道沿いの櫛山古墳や檜原神社なども案内されています。シュロ塚古墳なる古墳名が見られますね、お恥ずかしながら初耳の古墳です。地図上の位置から察するに、ちょっとアクセスしにくい場所にあるのでしょうか。今度また調べてみようと思います。
こちらが珠城山1号墳への入口です。
木の手すりの付いた石段を上って行きます。つづら折りの石段が墳丘上へと続いています。
珠城山1・2号墳の道標。
国の史跡に指定されているのは珠城山1号墳と2号墳のみで、消滅してしまった3号墳は国の史跡ではありません。昭和52年に史跡指定を受けている古墳見学にいよいよ出発です。
相撲神社や穴師坐兵主神社に車でお参りする際には、この道標を左手に見ながら坂道を上って行きます。ちょうどこの辺りは三輪山の北西部に当たります。穴師山から西に延びる丘陵上に珠城山古墳群は位置しています。
道路側から丘陵を見上げます。
この写真ではちょっと分かりづらいですが、丘の上にぽっかりと口を開ける横穴式石室が見えています。意外や意外、道路上からでも1号墳の開口部が確認できるんですね。
石段を少し上ると、朱色の鳥居が立っていました。
なぜ古墳に鳥居?と思ったのですが、後でその理由が判明することになります。
石段の最上部。
さぁ、ここで迷わないようにしましょう。
私は珠城山1号墳の石室を目指していたのですが、ちょっと寄り道をしてしまいました(笑) まぁ今回は持ち時間に余裕があったので問題なかったのですが、時間配分を常に考えていなければならないガイドさんなどは注意が必要でしょうね。
行く手左奥に案内板のようなものが見えていますが、とりあえずは無視してもOKです。
石段を上り切ると、右手に二手に分かれる道が続いています。
どう見ても左側の、ブロックで造られた階段の方が石室へと続いていそうです。右側の地道ではないだろうと思い、まずは左側のブロック階段を上がって行ったのですが、これが間違いでした。
珠城山1号墳へのアクセス道は、右手の地道だったのです。
この写真はしっかりと目に焼き付けておいて下さい。手摺り最上部の向こう側に、細く続いている道が横穴式石室へと通じています。
そうとは知らずにブロック階段を登り切ると、その丘陵上にはお稲荷さんが祀られていました。
先ほどの鳥居の意味が理解できた瞬間です。
ちょうどこの祠の下が、珠城山1号墳の石室という位置関係になります。
宝珠と巻物を口に咥えていますね。
まさかこんな場所に稲荷社が祀られているとは思いもよりませんでした。
再びブロック階段を下りて、崖の上の地道をゆっくりと進みます。
ありました、ありました。
左手にそれらしきものの正体が!
真正面から開口部を見ます。
奥壁が確認できますね。大規模な横穴式石室になると、長い羨道の奥に玄室があるため、その奥壁までは見えないものなのですが、珠城山1号墳は視認することができます。全長4.7mと言いますから、比較的小さな横穴式石室のようです。
石室の中。
外光が奥まで届いていますので、石室見学の道具とされる懐中電灯は不要です。
石室内の石積は6~9段ぐらいでしょうか。奥壁が台形状に見えることから、地面から天井石に向かって持ち送り構造になっていることが分かります。
奥壁と天井石に近づきます。
見事なバランス感覚でそれぞれに支え合っていますね。
石と石の間に無数の隙間が見られますが、崩れ落ちることなく保たれています。
優秀な石工による計算された配置なのでしょうか。
石室内には組合式の家形石棺が収められていたそうです。
副葬品も多数出土しており、耳環、環頭大刀、槍、馬具、工具、鉄鏃、挂甲、土器、金銅製空勾玉等の玉類などが挙げられます。ちなみに挂甲(かけよろい)とは、肩にかけて着る鎧のことを意味しています。武具として使用されていたのかもしれませんね。
石室開口部前からの景色。
民家が下に見え、その向こうに箸墓古墳のこんもりとした丘陵が視界に入ります。
人工的に切られたような形の石が挟まっています。
実に芸が細かいですね。
隙間を埋めるように、大きな石を複数の小さい石で支えます。
珠城山1号墳は乱石積の片袖式横穴式石室です。小さい石が多く見られますが、3枚の天井石はさすがに巨大です。玄室のサイズは、長さ3.4m、幅1.5m、高さ2mとされます。見上げればすぐそこに天井石が覆い被さっており、石室内はそんなに広い空間ではありません。
珠城山古墳群の案内板。
珠城山古墳群は東から1・2・3号の3基の前方後円墳で構成された古墳時代後期の古墳群です。
1号墳は後円部の南に開口した横穴式石室を設け、石室中央部に組合式石棺を安置しています。古墳の規模は、全長約50m、後円部径約24mです。
2号墳の埋葬施設は不明ですが、古墳の規模は全長約90m、後円部径約45mです。
3号墳は前方部の先端が現存するのみですが、前方部と後円部に南に開口する横穴式石室がありました。古墳の規模は全長約50m、後円部径約24mです。 桜井市教育委員会
1号墳と3号墳の規模はほぼ同じですが、真ん中の2号墳だけは約2倍の大きさであることが案内されています。2号墳の北側には平安時代の木棺墓、そして3号墳の前方部石室からは火葬墓が発見されているそうで、古墳時代以後も葬地として使われていた可能性が示唆されます。
1号墳の石室内から外を見ます。
身体を屈めて潜り込む石室ではないだけに、探検気分こそ味わえませんが、石室見学の初心者にはおすすめですね。古墳見学にありがちな恐怖感もほぼ感じることなく、古代空間を満喫することができます。
1号墳の家形石棺からは人骨も出土していると言います。
実際に発掘調査に携わった人々の驚きの表情が想像されます。石棺の中の人骨はリアルそのものでしょうね。現在、石室内には石棺が見られませんが、橿考研博物館に行けば展示されているそうです。ご興味をお持ちの方は、是非博物館まで足を運んでみて下さい。
いきなり玄門、ということなのでしょうか。
スタンダードな横穴式石室に見られる羨道らしき部分が見当たりません。
開口部脇の巨大な石は前壁に当たる部分なのかもしれません。袖部らしき箇所ははっきり確認できますので、素人ではありますが私の推察も間違っていないのではないでしょうか。
手前から箸墓古墳、耳成山、畝傍山を望みます。
墳丘上からの奈良盆地の眺めも、珠城山古墳群の見所の一つです。
同じ桜井市内にある茅原大墳古墳の墳丘上からも、奈良盆地の開けた景色を楽しむことができます。古墳には絶景ポイントがある、これも奈良観光の一つの醍醐味ですね。
珠城山2号墳の墳丘から望む景色
1号墳の石室見学を終えたら、次は珠城山2号墳へと向かいます。
緑に覆われた墳丘散策もいいものです。日常を離れ、のんびりとした時間を楽しむことができます。
ちなみに2号墳の前方部には、小型の竪穴式石室があっと伝えられます。
珠城山2号墳の墳丘。
遥か彼方に二上山が見えています。真西を向いて尾根伝いに歩いて行きます。
ここからの景色も素晴らしいですね。
抜けるような大空に、すっぽりと大和平野が抱かれています。
奈良盆地西方向の絶景を楽しんだ後、再び1号墳の方へ向かいます。
この辺りはちょっとしたピクニック気分が味わえます。
古墳の墳丘上ですから、さすがに襟を正さなければならない面もありますが、そんなことを忘れさせてしまうほど解放感に満ちています。昨今では馬見丘陵公園や新沢千塚古墳群なども公園としての整備が進められ、古墳とレジャーが見事に融合しつつあります。桜井市にも考古学的に素晴らしい古墳が多数存在していますので、より多くの人に接する機会を持って頂きたいと思います。
墳丘の麓に出土品が写真付きで案内されていました。
数年前にも一度、珠城山古墳群を見学したことがあるのですが、その時は1号墳の石室を見つけることができませんでした。墳丘上をウロウロするだけで、そのまま引き返してしまいました(笑) 改めて事前チェックの必要性を痛感した次第です。
3号墳の道標に従って、丘陵へと上がります。
一面の原っぱですね。右手にせり上がっている箇所が2号墳の前方部だと思われます。
今は消滅してしまった珠城山3号墳の見取図がありました。
赤丸で示されているのが現在地だと思われます。前方部の先端に立っていることになりますね。2箇所の横穴式石室が矢印で示されていますが、残念ながら今は存在していません。
わずかに残存する3号墳の原っぱに花が咲いていました。
全国に10万基以上あると言われる古墳。
その内の実に9割が後期古墳に分類されます。巨大な前方後円墳が数多く築造された前期古墳に比べれば、小振りの古墳が散見されます。そして、そのほとんどの後期古墳の埋葬施設は横穴式石室とされます。
1号墳石室の遺物出土状態が絵で表されていました。
玄門から玄室へと、片方だけが広がった片袖式横穴式石室が図示されています。
棺の周囲には、土器や副葬品が共に埋葬されているのが分かります。棺へ込めた古代人たちの思いは、霊を継ぐことにあったと言われます。死んだら全てが終わりではなく、そこに魂の永続性を感じ取っていたのです。
様々な出土遺物からも、そのような古代人たちの心の内が推し量れるような気が致します。
珠城山古墳1号墳の片袖式横穴式石室。
珠城山古墳群へのアクセスは、JR万葉まほろば線巻向駅から徒歩10分です。
見学は自由で、入場料等も不要です。古墳専用の駐車場はありませんので、お車でアクセスされる方は古墳前の道路脇に路駐することになります。路上駐車に特に問題は無いものと思われますが、くれぐれも迷惑駐車にならないよう配慮が必要です。あるいは穴師坐兵主神社の手前に駐車場がありますので、そこに車を停めて坂道を下って来るのもいいかもしれません。相撲神社も併せて参拝できるルートになりますので、初めてこの辺りを訪れる観光客にはおすすめです。
<桜井市の横穴式石室>