安産祈願で知られる帯解寺を訪れて参りました。
JR万葉まほろば線の路線図を見てみると、帯解、京終、奈良と続いていて、意外と奈良市内の中心観光エリアにも近い場所にあることが分かります。国道169号線からだと、少し西へ入った場所に佇む華厳宗のお寺です。
帯解寺山門。
帯解寺の歴史は、空海の師・勤操(ごんそう)大徳が開いた巌渕(いわぶち)千坊の一院に始まります。
その後、何度か兵火にも見舞われましたが、徳川家のサポートもあって無事に再興を果たしています。帯解寺を語る上では、お寺に滞在したと伝わる小野小町の存在も外せませんが、ここでは安産・子宝にご利益のある子安地蔵菩薩に注目してみたいと思います。
腹帯を巻く子宝祈願の仏像
帯解寺のご本尊にお礼参りをする人も多いと聞きます。
それだけ霊験あらたかで、実際にご利益があったという話をあちこちから耳にする有り難いお地蔵様です。
帯解寺の帯解子安地蔵。
鎌倉時代の檜材寄木造で、重要文化財に指定される仏像です。
古くから安産信仰で知られる裙帯(くんたい)地蔵菩薩。腹の前に見られる結び紐が特徴的で、妊娠5ヶ月目の戌の日に巻くと良いとされる腹帯(はらおび)の慣習を思わせます。
腹帯とは妊婦の下腹に巻く帯のことで、妊娠5ヶ月目から晒し木綿を巻く習わしがあります。岩田帯(いわたおび)とも呼ばれ、胎児を保護する目的で巻かれます。ちなみにこの岩田帯という言葉は、「斎肌(いはだ)帯」に由来しています。斎(いつき)肌に巻く穢れなき帯といった意味合いでしょうか。
岩田帯は下腹部の保温や、胎児の位置を正しく保つために役立つ帯です。穢れを祓う意味も併せ持つ岩田帯は妊婦の強い味方ですね。
帯解子安地蔵の像高は約1・8mにも及ぶ堂々としたものです。左手に宝珠、右手に錫杖という地蔵菩薩のスタンダードなスタイルを保っています。
帯解子安地蔵にまつわる逸話は、平安時代前期の第55代文徳天皇の御代に遡ります。
子宝に恵まれなかった天皇は、春日明神に子授け祈願をしました。すると春日明神からお告げがあり、帯解子安地蔵菩薩に祈願せよと諭されたそうです。そこで勅使を遣わして祈願したところ、文徳天皇妃が無事に清和天皇をご懐妊されたと伝わります。
大いに喜んだ文徳天皇は、天安2年(858)に地蔵堂を建立し、帯解の寺号を賜ったと伝えられます。
時は下り、江戸幕府3代将軍家光公の時代にも、家光側室のお楽の方が帯解寺本尊に子授け祈願を行ったところ、無事に竹千代丸(家綱)が生まれたという話も伝わります。
時の権力者からも篤い信奉を集めていた帯解寺。
帯解寺はJR帯解駅のすぐ近くにあります。明治22年の市町村制実施の際に、お寺の名前に因んで帯解という町名が制定されています。腹帯の紐が解ける時は、無事に願い事が叶った瞬間でもあります。帯解寺とは、実に縁起のいい名前ではないでしょうか。
帯解寺の年中行事案内。
1月1日の修正会に始まり、2月3日の節分星祭、3月1日~15日の秘仏公開、春分の日の彼岸会法要、4月24日の小野小町忌、7月23日・24日の子安地蔵会式 大法要、8月13日~15日の盂蘭盆会、秋分の日の彼岸会法要、11月上旬の秘仏秘宝特別公開、毎月24日(4,7,8月は除く)の地蔵尊護摩祈祷会と続きます。
帯解寺には胎教コンサートという面白い企画もあります。
胎内の子供の健やかな成長を願って開催されるコンサートで、美しい歌声や楽器が奏でるメロディを楽しむ催しです。
多産の象徴である犬に倣って、年中行事予定表の下には戌の日も案内されていますね。
地蔵菩薩の縁日に開かれる子安地蔵会式
数ある帯解寺の諸行事の中でも、7月23日と24日に行われる子安地蔵会式が最も注目に値するイベントではないかと思われます。
特に23日夕刻に行われる岩田帯練供養は必見です。
JR奈良線の線路を挟んで西側に建つ隆興寺から、法螺貝を先頭にして、紅白の岩田帯(約20m)を持つ約40名の行列が練り歩く行事として知られます。線路東側の帯解寺に到着すると、本堂内に入り本尊・子安地蔵菩薩に祈りを捧げます。
安産祈願はもちろん、無病息災や家内安全の願いも届けられます。地蔵会式の2日間に渡って、帯解寺門前には数多くの夜店が出て賑わいを見せます。
帯解寺の求子絵馬。
絵馬に描かれる題材は、帯解寺のご本尊・帯解子安地蔵ですね。
左脚を踏み下げた半跏像の姿が印象に残ります。少しでも衆生の元に近づこうとする、地蔵菩薩の慈悲が感じられる左脚ではないでしょうか。じっとそこに坐しているだけではなく、悩みの中にある私たちを救済しようとする意志が感じられるのです。
山門脇の提灯にも、帯解子安地蔵尊の文字が見えます。
左手には「帯解子安地蔵奉賛会本部」の札が掛かります。紋のような印も見られますが、皇室の十六菊花紋にも似ていますね。
帯解寺は皇室との関係も深いことで知られます。
美智子妃殿下、皇太子妃雅子殿下、秋篠宮紀子殿下にも安産祈願の岩田帯とお守りが献上されているそうです。
帯解寺の山号は子安山ですから、お寺の名前そのものが安産や子宝に由来しています。その歴史を振り返れば、平重衡の南都焼討や松永三好の兵乱などで焼失の憂き目にも遭いましたが、徳川家の援助などを経て見事に再興されています。
拝観受付の横に岩田帯が飾られていました。
ちょっぴり生々しい気もしないではありませんが(笑)、帯解寺ならではの光景ですね。
妊婦さんにとっては、帯解寺はなくてはならないお寺なのです。
徳川家綱寄進の手水鉢
徳川家の援助なくしては今の帯解寺はありません。
またそれと同時に、帯解寺のご利益なくしては後に語られる徳川幕府も無かったのかもしれません。将軍家にとって世継ぎの存在は何ものにも代え難いものであったはずです。3代将軍家光の嗣子(しし)である竹千代の生誕は、帯解子安地蔵尊のおチカラに依るものと伝えられます。
この世に生を享けた竹千代(家綱)は、その感謝の念を込めて石の手水鉢を帯解寺に寄進しています。
帯解寺本堂裏手の新御堂。
一階が回向殿、二階は護摩堂になっています。
新御堂の手前に鬱金(うこん)の櫻が植わっていました。
鬱金の櫻。
鬱金の桜とは、黄色い花を咲かせる桜のようです。
薄緑色の花を咲かせる御衣黄桜とも性質は似ているようですが、是非この鬱金の桜が開花している頃に帯解寺を参拝してみたいものですね。長谷寺で見た御衣黄桜にも感動したものですが、やはり初モノには興味がそそられます。
徳川4代将軍徳川家綱公寄進の手水鉢。
寛文2年(1662)3月の銘が刻まれているようです。
江戸時代の大和名所図会によれば、帯解寺の南北に連なる町は寺内町として繁栄したことが記されています。徳川家と帯解寺の深い関係が垣間見えてきますね。
山門前の石燈籠にも、地蔵尊の文字が刻まれます。
帯解寺の寺宝には、将軍家から寄進された誕生釈迦像も見られます。わずか21cm余りの小さな仏像ですが、そこには帯解寺地蔵尊への崇拝の念が感じられます。
子宝に恵まれなかった家光の側室ですが、春日局の薦めもあって帯解寺のご本尊に子授けを祈願します。その甲斐あって家綱が生まれたわけですが、誕生釈迦像はそのお礼として将軍から寄進されたものと伝わります。
帯解寺の住所は、奈良市今市町734です。
帯解寺へのアクセスは、JR帯解駅から北へ徒歩5分で、バス利用の場合は近鉄奈良駅よりバス天理駅・下山行き下山下車徒歩10分となっています。
車(マイカー)でアクセスされる方は、帯解寺の駐車場情報をどうぞご参照下さい。
拝観料は400円、拝観時間は9時~16時となっています。
帯解寺は大和地蔵十福霊場にも名を連ねています。奈良県内のお地蔵さんめぐりに焦点を絞ってお参りされる方もいらっしゃるのではないでしょうか。観光ガイドブックなどでは、山の辺の道コーナーの一角に紹介されることもあるお寺です。天理市からさらに北へ伸びる山の辺の道を辿って、ハイキングを楽しみながらの帯解寺詣でもおすすめです。
<帯解寺観光案内>