橿原総合庁舎の屋上庭園へ行くと、万葉風景を詠んだ万葉歌に出会うことができます。
この地ならではの楽しみが用意されていますので、万葉ファンならずとも一度は足を運んでみられることをおすすめ致します。
屋上庭園から耳成山と畝傍山の方向を望みます。
屋上庭園の北側を歩いていると、美しい山容で知られる畝傍山を詠んだ万葉歌が紹介されていました。
玉襷畝傍の山に我は標結ふ
畝傍山は屋上庭園から南西方向に見えています。
畝傍山を背景に万葉歌の案内ボードが設置されているかと思いきや、大切な風景を邪魔しないためでしょうか、その反対方向に畝傍山を詠った歌が紹介されていました。
思ひあまり 甚(いた)もすべ無み 玉襷(たまたすき) 畝火の山に われは標(しめ)結ふ
歌の意味はこんな感じです。
愛しさが募り、思い余ってどうしようもないから ”私のものだという印” を畝傍山に結び付けるのです。
「私のものだという印」。
何とも激しい恋慕の念が感じられます。この万葉歌の最後の「標結ふ」の標(しめ)は、「占む(しむ)」の連用形名詞とされます。つまり独占の「占」にも通じていることが分かります。みだりに人が立ち入らないように、縄などを張り巡らして占有地であることを示します。神社の結界に見られる注連縄(しめなわ)も、この「占む(しむ)」に由来しています。
望遠鏡の向こうに望む耳成山と畝傍山。
手前の耳成山は左右対称ですが、奥の畝傍山は少し首を傾げたような姿をしています。この山容がどことなく襷(たすき)を掛けている姿にも似ています。
古語の世界では、男女の仲が絶えて会えなくなった状態を「標の外(しめのほか)」とも表現します。標結ふとはまさしく、一刻も早くもやもやとした心の内をはっきりとさせたい恋心を表しているのではないでしょうか。
橿原総合庁舎の屋上庭園から南東方向を望みます。
玉襷(たまだすき)は襷(たすき)の美称です。
あるいはタスキを首に掛けるところから、「かく」「うね」に掛かる枕詞ともされます。この万葉歌の場合、畝傍の枕詞として使われているのが分かります。万葉時代の言葉では、襟首に掛けることを「うなぐ」とも表現しました。
いつも心に引っ掛かって心苦しい状態のことを、古語では玉襷かけて、あるいは玉襷かけぬ時なくなどと言い表します。「玉だすきかけて苦し」とのたまふわけですね。
畝傍山は万葉集の中で女性を表すシンボルでもありました。
香具山と耳成山がお互いに畝傍山を奪い合ったというお話はあまりにも有名です。大和三山の中でもその姿の美しさから、古来より女性の象徴として見られていたようです。
「思ひあまり 甚(いた)もすべ無み 玉襷(たまたすき) 畝火の山に われは標(しめ)結ふ」
なかなか味わい深い万葉歌ではないでしょうか。
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