宇陀市のひのき坂古墳公園へ行って来ました。
移築保存されている奥ノ芝1号墳の横穴式石室がお目当て。榛原石を積み上げた磚槨式石室で、7世紀中頃の円墳とされます。
奥ノ芝1号墳の横穴式石室。
奥ノ芝古墳群は4基で構成され、その内の1号墳と2号墳は奈良県指定史跡に名を連ねます。残念ながら1号墳は宅地開発の際に破壊されており、現在はひのき坂古墳公園に復元展示中です。
榛原石を積み上げた磚積石室
ひのき坂古墳公園の周辺は既に宅地開発されていました。
新旧のせめぎ合いがあったエリアであることをうかがわせます。
横穴式石室の開口部には柵がありました。
磚積石室は桜井市から宇陀市榛原にかけて多く見られます。
平たいレンガ石を積み上げたような埋葬施設です。”流紋岩質凝結凝灰岩”、通称「榛原石」をレンガ状に加工しています。巧みな石工の技が光りますが、桜井市の舞谷2号墳で見た石室を思い出します。
ひのき坂古墳公園。
近隣住民の憩いの場ですね。
奥ノ芝1号墳から南へ100mほどの場所に、奥ノ芝2号墳があります。ほぼ同じサイズの円墳で、箱型石棺が安置されています。
ひのき坂1号墳の移築墳丘。
昭和60年(1985)の宅地造成工事で破壊された古墳です。石室内は盗掘に遭っていたようですが、須恵器や土師器が検出されました。
こちらは宇陀市内の西峠古墳。
奥ノ芝1号墳ですが、渡来人の墳墓とする説が有力視されています。
被葬者が定かでないのは、奥ノ芝1号墳に限ったことではありませんね。奈良県内には数多くの古墳がありますが、そのほとんどが被葬者不明のままです。
福地最上稲荷神社。
公園内に鎮座するお稲荷さんです。
天保末期から弘化嘉永の頃、備中高松最上稲荷講の人々がお伊勢参りの途中で福地を常宿としていた縁から祭祀されたようです。
和州福地 最上稲荷縁起。
御祭神 三面大黒天、最上位経王大菩薩、八大龍王
例祭 春季大祭 3月第四日曜日
秋季大祭 9月第三日曜日
三面大黒天をお祀りしているのですね。
朱色の明神鳥居。
扁額に「福地」の地名を刻みます。複数の鳥居が並ぶ様はお稲荷さんそのものです。
この石段を上がって行きます。
道路を挟んで右側には住宅街が広がります。
1号墳の石室は、両袖式の横穴式石室です。
石室の中に入ることは出来ませんでしたが、柵の外から中をうかがうことはOKです。
草が生え、少しは自然の空気が漂います。
移築復元されているということで、やはりダイナミックさに欠けるきらいはあります。でも、かろうじて見学できることに感謝ですね。
奥ノ芝1号墳の石室開口部。
2号墳の方が冒険心をくすぐられるわけですが、より住民に近いのはこちらでしょう。
長閑な公園の中にあります。
すっかり日常風景に溶け込んだ古墳ですね。